花嫁なんてありきたりなことを望んでいたことがあった。多分誰も信じないことだ。でも私はその人の花嫁になりたかった。
 白がよく似合う、花のように笑う人。何だかいつも照れているかのように頬に赤みが差していて、桃色の乙女椿の花をよく思い出した。その赤みが差した頬で笑うその人は、本当に天使と見紛うほど可憐だった。その人は勿論男だったけど、女の私なんかよりずっと可愛らしい人だった。楽しげに笑う姿も駄々をこねるナナリー様にする困った顔も、本当に可愛らくて、見ているだけで胸の真ん中をあったかくしてくれる人だった。私は出来ればその暖かさを手放したくなくて、度々彼を酷く困らせたのだ。
 その時私がなんて言って彼を困らせたかは覚えていないけど、彼は我が儘な妹にする困り顔とは違う、どこか思い詰めた悲しげな顔をしたので私はもう息が苦しくて苦しくて目眩がしてしまいそうになった。そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに、と胸がかき乱されてすごく痛くて私は思わず泣き出してしまったのだ。そして今度こそ彼は大慌てして必死に私を慰めた。
「ごめんなさいアーニャ、違うんだ、君のことは大好きなんだ。だけど、だけどね」
 好きなの、あなたが好きなの。傍にいたいの。
「アーニャ、泣かないで。」
 そうだ思い出した。私は頼んだんだ。
「あなたの花嫁にして欲しいの」
 まあ困って当然だろう。
 適当な返事でお茶を濁せば良かったのに、律儀な彼は悩みに悩んで悩み通して、目の下にひどい隈を作っていた。私も随分子供らしい我が儘を言ったものだ。あんなに彼を困らせて、本当に申し訳ないことをした。それも一度や二度ではなかった気がする。
 そしてその度に彼は目の下に隈を作って、私に謝った。
「じゃあ、いつになったら花嫁にしてくれるの」
「え、あの、」
「私が大きくなったら?ルルーシュ様が大人になったら?私たちのどっちも大人になったら?」
 彼はひどく狼狽えて、大きな紫色の瞳をあっちにいったりこっちにいったりさせた。ひどく慌てる彼の様子に、るるーしゅさまはわたしがきらいなんだ、と引きかけていた涙がまた溢れ出してしまった。
「うっ、う…う〜」
 そのときは、確かナナリーさまが鬼のかくれんぼをして遊んでいたから、私はわんわんと声をあげてしまいそうになるのを必死になって我慢した。ルルーシュ様は今度は目だけでなくて体があっちを向いたりあっちを向いたりして大慌てした。
 やがて観念したように、私のスカートの裾を握っていた手をそっと取った。
「……じゃあ、ふたりが大人になって、僕がアーニャを大好きで、アーニャが僕を好きでいてくれたなら、そのときはきっと君を花嫁にしてあげる」
 そうした約束を、何度もした。
 優しい彼だから、それが精一杯の妥協だったのだろう。覚えている。私の記憶はまだなくなっていない。あなたが私の中から消えたりはしない。
 そうだ、明日学校に行ったら、ルルーシュ様にもう一度頼みに行こう。
 ルルーシュ様、私をあなたの花嫁にしてほしいの。
 慌てるだろうか、昔のように。ああ、ナナリー様にも挨拶をしなきゃ、ルルーシュ様は無事だと教えてあげなきゃ。彼女は喜ぶだろうか、会いたいと願うだろうか。総督の仕事は忙しいから、きっとそんな時間は作れないだろう。それじゃあ、ルルーシュ様を連れてくればいい。そうだ、そうしよう。
 じゃあ、この夢から覚めて一番にすることは、いち早く学校に行くための準備だ。
 ご飯を食べて、髪を結って、ピンクの可愛らしい制服に袖を通して。きっとナナリー様によく似合う。そうだ、ルルーシュ様の制服も似合っていたけど、やっぱり白の方が似合うと私は思う。
 白い燕尾服を着て、私を待っていて欲しい。
 白いドレスが着たい。真っ白なドレス。真っ白なあなたに似合う真っ白な花嫁になりたい。
 起きたくない。起きたら忘れてしまうだろうから。あなたのことも、真っ白なドレスのことも。ルルーシュ様も忘れていたんだろうか。だとしたら悲しい。うん、悲しい。
 起きたくない、忘れてしまうのだったら。私が悲しかったように、きっとルルーシュ様も悲しい。
 起きたくない。また眠るまで悲しいままだもの。




 アーニャはゆっくりと目を開ける。部屋はまだ暗く、早朝というにはまだ夜が深かった。ラウンズに用意された豪華な政庁の個室で、アーニャは音もなく目覚めた。とは言っても寝ぼけている状態だから、起きている、とはっきり言い切るには多少の無理があった。眠気眼で暗い部屋をじっと見つめるアーニャの口から、言葉とも言えないような、微かな音がもれた。
 それは、それを発した本人であるアーニャにさえ存在を気付かれず、そのまま空気になって消えただけだった。


 るるーしゅくん。
 あなたの花嫁にしてほしいの。

真夜中の花嫁