ああどうぞ神よ私を御許しくださいませどうか私の業をお許しくださいませどうか私を御救いください御憾み下さい私に罰をお与え下さい私は彼方を裏切りましょう魔女に悪魔に世界に彼方を売り渡す
 ああどうか御怒り下さいどうぞ私を御怨み下さい御責め下さい粛清してくださいませどうかどうか私を掃き棄てて御仕舞い下さいませどうかどうか彼方を













 近頃のスザクは挙動不審だ。以前は目だけで人が殺せるほど荒んでいたというのに、なんだかスザクの刺々しい、近付くだけで肌がチリチリと逆立つ凍える雰囲気が和らいだ。だからと言ってスザクの纏う雰囲気が暖かくなったというわけじゃない。それどころか、スザクが他人と引いていた一線は更に強固になり、まるでスザクと話していても壁越しに話しているような気になってしまうのだ。目は合っているのに、私の奥に別の誰かがいて、スザクは私とではなくその誰かと話しているように思える。勿論後ろには誰もいない。試しにスザクと話している途中に勢いよく振り向いたことがある。当然のようにあるのはただの空気だけ、スザクはひたすら疑惑の目を私に向けるだけだった。どうやらスザクのそれは私だけに起こることではないらしく、何かを見る度誰かと出会う度スザクは何か思うところがあるかのように目を細める。笑っているわけではない。ただ、何かを懐かしむように、何か若しくは誰かの向こうに見える何かを必死で読み取ろうとするかのように、ただ目を細めるのだ。
 それともうひとつ特筆するならば、スザクのKMF操作技術が格段に上がった。激しい紛争を鎮圧しても、ランスロット・コンクエスターには傷の一つも見当たらなかった。スザク専任のキャメロット責任者の博士は大喜びで修理費を開発費に回して、助手の女性はスザクを褒めながらもどこか戸惑っているようだった。
「なあスザク、どんな特訓をしたんだ?エリア11式の、特別な修行でもしたのかい?」
「まさか、そんなのはないよ。ただ、」
「ただ?」
「おまじないを掛けてもらったんだ。それもうんと強力な奴を。呪いなんかより、もっとずっと、強力な奴をね」
「そのおまじない、私にもかけてもらえないのかい?」
「ははっ」
 スザクは目を細めて笑った。心ここに在らず、心の中で先程クルーミー女史がスザクを形容していた言葉を反復する。
「ジノじゃ無理だよ」
 焦点がどこに合っているのか分からない目のまま、スザクはそう言い切った。
「――――彼は、僕にしか掛けないよ」



 スザクの携帯端末に電話が掛かってきた。
 ジノはスザクの携帯端末がその役割を果たすところを見たことは殆どなかった。スザクも持っている割にそれの必要性をあまり感じていないようで、そもそも携帯していないことの方が多かった。
 珍しいこともあるものだと、その姿を遠目に見ていた。しかしどうもスザクの表情が暗い。暗いというか、必死だった。暗闇で、遠くに灯される灯りを必死に追いかけているような切羽詰まった表情だ。
 色事で揉めているのだろうかと邪推しながらその稀有な光景を見物していると、
「ふざけるな!!」
 突然スザクの悲痛な声色の怒鳴り声をあげた。周囲は驚いてスザクは振り返るが、当の本人は目もくれず電話の主と話し続けている。
「こんな、こんな御伽噺のようなことあってたまるか!気がおかしくなりそうだ………!」
 スザクの声が震えている。
「――――ごめん、悪かったよ。気が滅入ってるんだ。お願いだから切らないで
」  スザクは相手に謝っている。
 会話を盗み聞きする趣味はないが、それからの会話は聞き取ることは出来なかった。しかしどうやらスザクはその電話の相手に会いに行く約束をしたようだった。
「なあスザク、何処へ行くんだ?」
 スザクは返事をしなかった。聞こえなかったのかもしれない。
 しかしスザクの焦点ははっきりと真っ直ぐに前に設定されていた。



 白い小さな教会がある。スザクはその前に、大きなサングラスで顔を隠して立ちすくんでいた。
 祈りを捧げるためにある、神様への連絡手段だ。スザクはそんなものに祈ったことは一度もない。神様はいないことをその目で見て、知ってしまったからだ。でもその代わりに、スザクは神様が産まれる瞬間を確かに見届けた。この目で見届けたのだ。未だにスザクの脳裏にはその日がその慟哭がこびり付く。あの時の彼の温もりも、意志も覚悟も決して嘘などではない。もしも鋭利な剣で彼の心臓を貫いたあの手応えが嘘なのだとしたら、あれがちょっとした居眠りの合間に見た夢だったのだとしたら、スザクは自分の気が狂っているとしか思えなかった。
 いや事実そう思っていたのだ。
 機情の報告書の写真にはルルーシュは生きていた。ナナリーは高価なドレスに身を包んで目を頑なに閉じていた。
 カレンは行方不明のままで、黒の騎士団は日本の監獄に囚われている。ロイドとセシルはどこかスザクを気づかい、ジェレミア卿の行方は知らないが恐らくは話に聞いた教団にいるのだろう。
 目に見る全てがスザクを否定するのだ。スザクの覚悟を消し去って、ルルーシュの願いを忘れ去ってしまった。



 今は、どうしたって、スザクには過去だった。
 今日は、過去だった。
 世界は未来へ繋がったはずなのに、世界が刻むのは明日ではなく昨日だ。



 いよいよスザクの頭が破裂してしまいそうな頃、まるでスザクをこの世界につなぎ止めるかのように、たった一本の電話がスザクに繋がったのだ。スザクの記憶を肯定する存在が現れた。
 そして電話の主は、スザクをこの小さな教会に導いたのだった。
 租界の隅も隅、ゲットーと呼んでも差し支えのない場所にその教会は存在した。しかし教会に人が足を踏み入れたような形跡は全く感じられない。租界の隅に追いやられた祈りの場は人々に存在を忘れられ、鉄柵に纏わりついた蔦が、神様の恩恵を吸い取っているかのように、教会を覆い尽くしていた。
 スザクはその教会をじっと見つめて、少しの間考えていた。
 ――もし、この中に呼び出した張本人がいなかったら。そう考えて途方に暮れていた。
 今このときには、スザクの携帯端末の番号を知らないはずの彼女から電話を掛けてきた。だから恐らくは彼女も自分と同じ境遇に置かれているのだとスザクは信じて疑わなかった。しかしいざ足を運ぶと、教会を目の前にして足が竦んでしまったのだ。
 今のスザクはルルーシュへの憎しみなどまるで持ち合わせてはいない。彼の姿を思い描いても、彼の写真を見つめても、胸中に溢れるのは彼への愛しさばかりだ。そして彼を喪ったときの喪失感を、絶望を、そして彼の願いをただ果たすしかなかった己への怒り。
 今のスザクにゼロを、ましてやゼロであるルルーシュを手に掛けるなど想像も出来なかった。(しかしこの手は確かに彼を殺すということを知っている。)そんな自分では、これからラウンズとして黒の騎士団を相手に戦争ができるわけがない。
 このままではスザクは心が死んでしまう。そうこれからくる未来のように、スザクは死んでしまう。体だけが生きて、その寿命が尽きるまで生き尽くすのに枢木スザクは死んでしまうだろう。

   思い描いた未来があまりにも灰色で、思わずスザクは目を閉じた。彼がいなくなった世界も酷いものだったが、スザクが思う世界の方がよっぽど惨い。
 だからスザクは教会の扉に手を掛けた。冷たい錆び付いた黄土色のドアノブを掴み、できるだけ音を立てず、それでも軋んで大きな音が立ってしまう扉を開けた。
 隙間から中を覗く。
 小さな割に、立派なステンドグラスが飾ってある。天使が舞い降りる様を描いたステンドグラスに見惚れて(本当はその慈悲深い姿があの日の彼を思い出させて)、それに誘い込まれるようにスザクは教会の中に入る。

チュインッ

 教会の中に完全に入りきったスザクを迎えたのは、ステンドグラスを通して七色に光る陽光ではなく無機質な銃弾と跳弾の音だった。スザクがそれを避ける前までいた所には、確かな弾痕がある。スザクのすばやい動きで翻ったすその長い上着は、風の抵抗を受けるようにふわりと埃を被った床に舞い落ちた。
「――ちっ、外したか」
 教会の奥から冷ややかな女性の声がする。
「……随分なご挨拶だね、CC」
 物陰から現れたCCは、今し方スザクに発砲したと思われる銃をしっかりと手に持っている。
「そんな名前で呼ぶな。その名はもう捨てたよ」
「じゃあ君の名前を教えてくれるのかい?」
「お断りだな。なら仕方がない、CCと呼ぶのを許そうか」
 魔女、いやもう違った。CCはカントリーな可愛らしい服に身を包み、長い緑髪を二つに結ってさげている。どこにでもいる、可憐な少女に彼女はなっていた。かつて彼女が着ていた拘束衣は、彼女が世界に囚われているからなのだとルルーシュから聞いた。恐らくは、彼女をつなぎ止める楔さえ、ルルーシュが奪い去ってしまったのだろうとスザクは思った。彼女はもう魔女ではない、彼女は世界に囚われてなどいないのだ。彼女は世界から解放され、スザクは世界に縛られた。
「私の名前を呼んでいいのはあいつだけさ」
 CCは悲しげに、しかし胸に溢れる愛しさを滲み出すように呟いた。家族に、我が子に、それとも愛する恋人に呼びかけるような声色は、スザクの心をまた物憂げなものに変えていった。スザクが思うのはルルーシュただひとりなのに、彼を思う人間はいくらでもいる。彼の命を貰ったのは確かにスザクだけだけれど、ルルーシュが命をささげたのはスザクにではなく世界にだ。
「罵声ぐらいは覚悟していたけれど、まさか直接命を狙われるとは思っていなかったよ」
「一度ルルーシュの仇を取っておこうと思っていたんだ」
 CCは肩まで拳銃をあげて、人差し指でくるりとそれを回して見せた。スザクは危ないよ、とだけ心配もしていないのに言ってみた。
「確認のために聞いておくけど、君は。・・・・知っているのかい?」
「お前がルルーシュを殺すことか?これからシャルルたちがやろうとしていることか?シュナイゼルの目論見か?」
「……それだけ聞ければ十分だよ」
 CCはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「何故、こんなことになってしまったのか、君は知っているのかい?」
 スザクは自分を情けなく思った。今の自分の瞳は、きっと彼女に縋るように向けられているはずだ。
「私にだって分からないことはあるさ」
 スザクは目を伏せた。CCは陽光の中に躍り出て、掲げられる十字架をただただ食い入るように見上げた。
「スザク。私はな、CCになってから初めて神に祈ったよ。神などいないことぐらい分かっていたはずなのに」
 それでも縋りたかったんだ、とCCは言った。スザクは二列に並べられた長椅子の背もたれに腰掛、膝の上で手を組んだ。
「ルルーシュを死なせないで欲しいと祈ったよ。・・・あいつの覚悟への侮辱さ」
 スザクはじっと組んだ手を見ていた。ふと、思いついた考えがスザクの思考を支配してく。ああそれはいけない、そんなこと考えてはいけない。これは裏切りだ。彼への手酷い裏切りだ。彼の想いも覚悟も踏みにじる行為だ。行って良い訳が無い。考えることすら卑劣だ。
「世界は恐ろしいほど綺麗さ。目が眩んでしまうほどな。世界は、あいつを除いてこの世で一番美しいものだろうさ。ああその通りだ。あいつの血を啜りとって生きながらえた世界なんだ。美しくなくては困る。あいつに見せてやりたかったよ。誰よりも世界を信じ、愛した男だ。世界を作り出した張本人が、その世界を見届けることが出来ないなんて皮肉どころではないさ。これは悲劇だよ。何が明日だ何が未来だ。愛だの幸せだの、そんなものはありえないよ。私にはもうありえない。お前だってそうだろう。ナナリーもカレンも、もう無理だ。不可能だ。ルルーシュはそれを理解してなかったんだよ。お前のいない明日が、なんの意味を持つのか。世界のノイズ、そんなことあるわけがない。ただのノイズを愛する奴が何処にいる。ルルーシュを愛した存在がどれだけこの世界にいたか。あいつは全くの阿呆さ。ああ、阿呆だ。とんだ間抜けめ」
 スザクは何も言えなかった。CCの言葉は、ルルーシュがいない世界で生きていたスザクにいつだって纏わりついていた思いだ。振り払っても振り払ってもスザクの体に纏わりついて、底なし沼にスザクを引きずり込もうとする厄介な思いだ。
 スザクがルルーシュの行動を言葉を否定するなんてありえない。あってはいけない。だからスザクは何も言わずただ組んだ両手に力を込めて目を閉じてしまった。
「でもおかしなことだ。今ルルーシュは生きている。まだ生きているんだ。」
 それはスザクも知っている。確かにルルーシュは生きている。写真越しと画面越しで確かめた。本当はスザクの両目で確かめたかったのだけど、今ルルーシュに直に会えば自分が何をしでかすのか分からなかった。  おそらく彼にすがり付いて、喚き散らして跪いて懺悔するのだ。僕を生かそうとしなくてもいいから、罰などいらないから、どうか死なないで。
 その姿を想像してスザクは思わず笑いたくなった。だってルルーシュは何も知らないのだ。まだ何も知らないのに。
「なあスザク、お前、何に祈っているんだ?」
 哂いを含んだCCの声がスザクの耳に届く。  スザクは気づいていなかったのだ。両手を組み、両目をぎゅっと閉じるその様は、CCが神様に祈ったその姿と変わりなかった。
「世界に、」
 驚愕するスザクの口は勝手に喋りだした。
「彼を殺さないで、と祈ったよ」













 ああどうかお許し下さい神様。僕は俺は彼方を愛してしまいました彼方のいない世界などまるで無意味生きる価値など無い神様どうかお帰り下さいこの灰色の世界にまた返ってきては下さりませんかどうか神様  世界は彼方を愛しましょう愛さぬ人など居りませぬええそうでしょうそうでしょうお帰り下さいお帰り下さい帰ってこないというなら首輪をかけて連れ戻すぞ!

神様とエンドレス輪廻