ルルーシュは美しかった。
あの2ヶ月の間、必死に目に焼き付けようと見つめ続けて、今思い出せるのはそれだけだった。
しかしあんな気高く高潔で、美しい人間をスザクは知らない。
その美しさは、とても生きている人間に出せるとは思えなかった。彼は生に執着せず、死を覚悟した。それでも生きようとする儚さが、その美しさを引き出していたのかもしれない。あれはきっと容器の美しさなんかじゃなく、彼の魂がきっと、世界で一番綺麗なものだったのだ。彼は一度だって弱音を吐かなかった。生きたいとも、死にたくないとも言わなかった。彼は一度だって謝らなかった。彼はただ微笑み、礼を言った。彼から色々な話を聞いても、彼の口が恨み言を紡ぐ日は来なかった。言い訳なんて、なおさら。
ルルーシュが何を思っていたのか、スザクは知らない。彼は誰よりも明日を望んだはずだった。きっとスザクよりも生きたかったはずだ。彼は生き残るこの体を妬みはしなかったのだろうか。そう思っても、スザクには彼は嫉妬なんてしないと歴然とした確信があった。
ルルーシュは大きなガラス越しに日光を浴び、美しく輝いた。スザクはそこから自分の姿が見留められないよう、その姿を日陰から見た。目を細め世界を見て、ルルーシュはそれを愛しいと言った。ガラス越しに浴びる暖かな日差しはまるで春のようで、こんな日に咲く花はきっと綺麗だろうとスザクは微笑むルルーシュを見つめた。
「(ルルーシュが花なら、きっとこんな暖かな日差しの中で咲く)」
スザクの冗談のような本音は、そのまま真実になった。
世界中から花を集めた。
栽培が難しいものから、そこらにかしこに咲き散らかしているようなものまで、ありとあらゆる種類の花を集めた。
シュナイゼルに命令し、もう次の日には部屋を埋め尽くす花が用意されてあった。シュナイゼルの手腕だと思っていたが、これだけの花が集まったのは、それが世界を救った英雄ゼロの望みだったからだと幾らか経ってから知った。ゼロの言葉は絶大だった。何しろ今世界が安寧に日常を送っていられるのは、偏にゼロがルルーシュの手から世界を解放したからだった。ゼロは仮面の中で首を傾げた。自分はただの人殺しなのに、誰も自分を責めない。あのときと一緒だった。違うのはその事実が秘匿されずおおっぴらに公表されていことと、世界がそれを賛美していること。
空の棺は、花で満たされている。初めて見た橙の花を手にとって、花弁だけを千切って棺に注ぎ込む。ひらひら、と鮮やかな花弁が白い棺に入っていく。元々入ってあった、ルルーシュの死骸には到底及ばない。棺の外で見れば見事な色彩を持つその花は、棺の中に入ってしまうと只のくすんだ枯れかけの花になってしまっていた。
ゼロは手近な花を掴んで棺の中に柔らかく納める。桃色の大きな花だった。
枢木スザクは死んだが、体が生きているので、ルルーシュと共には眠れない。ならばせめてルルーシュと同じように、枢木スザクの死骸を花と見立てて棺に納めようと世界中の花を集めたのだ。ルルーシュの死骸に見劣りしないように、と浅ましい思いで選りすぐり篩を掛けて、厳選に厳選を重ねた花々は、ルルーシュの死骸に比べ美しさなどありもしなかった。
大方予想はついていたのでゼロがそれに気を落とすことはなかった。もうレクイエムからかなりの時間が過ぎている。それなのにルルーシュの死骸は瑞々しく色褪せることない。部屋を埋め尽くす花々よりも咽返るような香りを漂わせる。只の花に、勝てるわけがなかった。
――――――ルルーシュは、死んで花になった。
ルルーシュはきっと妖精だった。美しい花の妖精だった。体は確かに人間のものでも、ルルーシュの魂は人間には到底持ち得ないほど高尚な、妖精の魂だったのだ。
ルルーシュの体は死んでいくのをゼロは見た。その体の末路を、ゼロは確かに見届けた。
誰もがその光景に目を見張って、言葉を失った。現実離れした美しさと同じように現実味の無いその死骸の行方が信じられなかったのだろう。しかし、まだかろうじて生き残っていたスザクはその様に静かに納得していた。スザクがあの日二ヶ月の間に思ったとおり、ルルーシュはぽかぽかの日差しの中咲いた。
ルルーシュの死骸は全てこの棺の中にある。ゼロは棺の中からルルーシュの死骸の一部を取り出した。手に取った青色の花は、確かルルーシュの肩の一部だ。ゼロはその花の花弁を一枚、千切ってしまわないように慎重に口に含んだ。青い花は砂糖菓子のように甘く、頭の中身を溶かしてしまうと思えるような強い、甘ったるい香気を放っていた。こんなことをする度にゼロはリフレインなんかに溺れる者を愚かしくも哀れにも思う。彼らの手に届く麻薬だのはとんだ三流。此花は世界で一番の麻薬だ。初めこそナナリーが泣きはらした目で一輪だけでも兄の遺体を分けてもらえないだろうかと懇願するものだから、一輪だけでもナナリーに分けようかとも思っていたのだ。しかしすっかりルルーシュの死骸に毒されたゼロは『ルルーシュの遺品はナナリーの足枷になるだろうし』、『ナナリーは明日を生きなきゃ、いつまでも死んだルルーシュに拘るわけにはいかないし』、『ナナリーはルルーシュの死に顔を見届けられたんだし(ゼロの立っていたところからルルーシュの顔は見えなかった。ルルーシュの顔を見る前に、彼は花となってしまった。)』、もっともらしい、あるいはただの嫉妬らしきものを理由にして一輪、花弁の一枚でも他人に渡そうとはしなかった。
ゼロは別に生きていなかったから、過去に執着しようが明日を生きようが個人の勝手だ。枢木スザクなら明日を生きようとしたが、今のスザクは自分の死骸を選定されている最中だ。とても明日を生きるつもりなんてない。スザクを殺したのはルルーシュだから、明日を生きようとしないのに後ろめたさを感じることもなかった。随分自分勝手な理由でゼロはルルーシュの死骸に夢中になっていた。最近思いついた愉しみ方は、今ゼロがしているようにルルーシュの死骸を味わうことだ。口に含んで、啄ばんでみたり、傷が付かないように軽く歯を立てて甘噛みしたり。
「止めろくすぐったい!」
口に食んだルルーシュの死骸がそう叫んだような気がして、ゼロは口の端を吊り上げた。ルルーシュ自身に舌を這わせているような気になって、くすくすと笑った。
花弁の一枚一枚に舌を這わせて、花弁の外側も内側も余すことなく舐めあげる。舌から感じる花の蜜の味が思考を溶かして、ゼロの鼻腔いっぱいに広がる花の香気がゼロを内側から支配していった。
誰にも譲る気は無い。ルルーシュを罰することも、ゼロを殺すのもルルーシュを殺すのも、ルルーシュに殺されるのも、俺だけの権利だ。俺だけに許されるものだ。
これは俺のものだ。
ゼロがルルーシュの死骸をやっと口から離したとき、花はゼロの唾液で濡れていないところがなかった。その姿にゼロは満足げに微笑み、最初にはんだ花弁に口付けた。
「この変態が!」
花が叫んだような気がして、ゼロは、もちろんルルーシュの死骸には負けるが、花が咲くように笑った。ルルーシュの方の一部を元々置いてあったところに戻し、脇にどけてあったガラスのくすみ一つ無い透明な蓋で棺に蓋をした。ゼロはその蓋にべったりと体を貼り付けて、ガラス越しに見える花にふやけた顔で笑いかけた。
「おやすみルルーシュ」
ゼロの耳にはルルーシュの不平を漏らす声がずっと聞こえていた。
花弁中毒