「………兄上、俺は別にあなたが憎かったわけじゃないんです。」
 「はい、ゼロ様。」
 「倒そうと思ったことはいくらでもあります。しかし殺そうと思ったことは一度だってないんですよ。」
 「はい、ゼロ様。」
 「俺はゼロじゃありませんよ。―――少なくとも今は。」
 「そうかい。ルルーシュ。」
 「………はい、そうです。あなたに勝った、ルルーシュです。」
 ルルーシュは、拘束衣ではなく質素な服に身を包まれた義母兄に眉を下げて微笑みかけた。
 「俺はルルーシュですよ。ゼロじゃない。」
 「ああ、そうだね。ルルーシュ。」
 普段より身軽に感じる体を椅子に落ち着けて、シュナイゼルは愛しい弟にガラス越しに強く微笑み返した。豪奢な服は重くシュナイゼルにのしかかり、見かねたルルーシュが処分した。プライベートでも着たことのない、化学繊維やらで編み上げられた服は、シュナイゼルの服という概念を180°変えたといっても過言でないかもしれない。着心地はひどいものなのに、シュナイゼルは与えられた服をとても気に入った。そしてシュナイゼルの代わりに、随分と重たい服を着ているルルーシュをシュナイゼルは心配した。
 「その服は、重くないのかい。」
 シュナイゼルの言葉にルルーシュはきょとん、と目を見開いた。そして愉快そうにくすくすと笑い出して、そのうち首を振った。
 「いいえ、どうせそう遠くないうちに脱がなければいけなくなる。」
 重いと感じる暇もありませんよ、とルルーシュは首を傾けてシュナイゼルそう言った。シュナイゼルは安心して顔を綻ばせたが、妙に大人びた弟の顔に孤独な思いをした。








 世界は変わった。シュナイゼルはそう思った。魔王が死んで、一ヶ月と少し。世界は少しだけでも平和を感受する余裕を持った。ゼロという解放の象徴を以って、世界は極めて平和的な道を辿っている。それでも戦争はまた起こるだろうとシュナイゼルは確信している。世界は今、傷ついた体を癒そうと躍起になっている。それが癒えてしまえば、世界はまた武器を持つだろうとシュナイゼルは考えていた。現に、シュナイゼルが今取り掛かっている書類は、植民地にされていた諸国の領土問題に関してだった。今はまだ文面上で息を潜めているが、そのうちこれは血を見る問題となる。それを理解していても両者が会談を勧めるつもりなら、こちらは公平な場と進行役を提供しなければならない。それも長い目で見れば無意味なことだった。書類を書き終え、シュナイゼルは自分の手を顎に掛け、一瞬の黙想を行った。
 まだ魔王の残影が残る内は、この世界は平和の内に留まるだろう。だがそれが消えてしまえば、ゼロの影響も少なくなる。恐らく、十年も掛からない。
 世界は魔王の存在を存分に利用することで纏まる。となれば魔王の残影はいつまでも未来永劫に恒久的に世界に降臨し続けなければならない。民衆の心に深い恐怖を植え付け、またそれから解放された喜びをいつまでも刻まなければならない。
 優しい世界を、他ならぬ主君ゼロの望みなのだから。








 「友達と約束をしてたんです。結局破ってしまったけれど。」
 「そうかい。それは悪いことをしてしまったんだね。」
 シュナイゼルは懐かしげに語るルルーシュに聞いた。
 「どんな約束をしたんだい?」
 「花火をあげると約束したんです。友達と、皆一緒にもう一度花火をあげようって。」
 「残念だったね。君も楽しみにしていただろうに。」
 その言葉にルルーシュはどこか自嘲気味に笑った。少しだけ俯いて、組んだ白い手にきゅっと力を込める。
 「・・・死んでしまった友達もいたり、取り返しの付かないことをしてしまったり、全部俺のせいだから。」
 残念がる資格はないんです。悲しいはずが、健気に笑う姿がシュナイゼルには痛々しく見えた。可愛い可愛い弟が悲しんでいるのだ。何とかしてやりたいと思うのが兄心だろう、とらしくないことを思いながら、シュナイゼルはルルーシュに言った。
 「君は、私との約束を覚えているかい?」
 ルルーシュは眉を寄せた。
 「約束ですか?・・・さあ、覚えていませんね。」
 ルルーシュはそのままうんうんと唸りだし、なんとか記憶からその約束を捻り出そうとしている。シュナイゼルはルルーシュの顔から悲しげなものが抜けたことに安心した。ルルーシュは顎に手を掛け首を捻っている。可愛らしい仕草だった。今度真似してみよう、とシュナイゼルは茶目っ気たっぷりに笑みを深める。
 「君が勝負をするときに言ったんだ。『もし僕が兄上に勝ったら、そのときは僕のお願いを一つ聞き届けてください。』とね。」
 シュナイゼルがそういうとルルーシュは苦虫を噛み潰したような顔になった。
 「子供のいう事です。本気にしてくださらなくても。」
 「君はチェス以上の勝負で私に勝ったんだ。私にとっても初めての敗北だ。君の手腕を称えたいのだよ。兄としても、好敵手としてもね。ただし、私の出来る範囲のことで。」
 そう押し切ったシュナイゼルにルルーシュは困ったように顔を伏せた。シュナイゼルはしまった、と思った。もっとあれをさせようこれをさせようとわくわく興奮するように悩んで欲しかったのに、ルルーシュはさっきの何倍もつらそうな顔をした。目を曇らせ、完全に俯いてしまった。再びルルーシュがシュナイゼルの顔を見たとき、当のシュナイゼルは言葉も出なかった。ルルーシュは晴れやかな笑顔で宣言した。
 「優しい世界に、してください。」
 ああ置いてかれてしまう。シュナイゼルはそう思った。









 世界に魔王の残影をすこしでも色濃く残すため、シュナイゼルはある祭りを催すことにした。
 「シュナイゼル、これはどういうことだ。」
 不機嫌そうな、納得できないというような主君の声にシュナイゼルは暗い部屋でそれを振り返った。
 「今日は魔王ルルーシュの四十九日ですよ。解放を喜ぶために、ささやかですが祭りを。」
 「それは日本の法要だ。ルルーシュは、」
 「これで少しでも長く魔王の存在を民衆に刻むために、これは必要なことです。優しい世界であるために。」
 ゼロは仮面の中で目を見開いた。ギアスが弱まったのか、と心臓に冷水を浴びせられたかのように体の芯が冷え込んだ。シュナイゼルはゼロに仕えるようにとルルーシュの手によってギアスが掛かっているはずだ。ゼロに逆らうはずが無い。だがシュナイゼルは今ゼロの言葉を遮り、自分の言葉を通した。ゼロの命より自分の意思を通したのだ。驚愕に言葉を失ってしまったゼロに、シュナイゼルは困ったように笑いかけた。
 「私は、ゼロの命令を遂行しているだけです。優しい世界であれ、と。貴方ではなく、もう一人のゼロに。」
 だから安心していい、とシュナイゼルは窓外の夜空を見上げた。そして目を細める。見えているだろうか、とシュナイゼルは声に出さず聞いた。声を出して空気の波紋をつくったとしてももう聞きたい相手には伝わらないのだ。むしろ心で唱え、そして強く念じたほうがきっと伝わることだろう。天国だの地獄だの死後の概念をシュナイゼルは深く論議したことも考察したことも無い。信じることさえくだらないと思った。しかし今はそう切り捨てることも出来なかった。天国はこのはるか上空にあるだろうか。空の上、大気圏を越した先には真空の無重力空間が広がっている。音が伝わることは無い。シュナイゼルの言葉も、腹の底に響くような轟音も、彼の居場所には届かないのである。遠い遥かの地ではこの光も届かないだろうか。
 強烈な炎によって暗さをぼかした空は紫になり、愛しい弟の瞳を思い出させた。火花を包む夜空が弟の瞳であればいいのに、とシュナイゼルは願って仕方が無かった。
 いつの間にか隣に並び、同じように空を見上げていたゼロにシュナイゼルは聞いた。
 「私の可愛い弟は、喜んでくれるでしょうか。」
 「・・・ああ。」
 変声機を通して聞こえた声はいつもと変わりないだろうに、重々しくどこか切なげなものをシュナイゼルは感じ取った。らしくなさすぎる、シュナイゼルは声を上げて笑いたくなった。シュナイゼルが三十路近い年齢まで積み上げてきた、『シュナイゼル』の価値観や人格は、この数ヶ月の間でものの見事に粉砕されてしまったようだ。それは彼が与えてくれた敗北のためか、命令のためか。どちらでもいいのだ。とシュナイゼルは尚笑う。今の自分は嫌いでない。みすぼらしくとも着心地が悪くとも、シュナイゼルがルルーシュに与えられた服を気に入ったのと同じで、また数ヶ月の間でルルーシュに与えられたこの価値観や人格をシュナイゼルは気に入った。だからこその行動だった。単に、自分のため、世界のため、弟のため、願いのため、命令のため、優しい世界にするために。
 「彼が、彼の友達と一緒に、見ていてくれたら、いいのですが。」
 噛み締めるように、シュナイゼルは彼の本当の望みを口にする。そんな些細な願いさえ、叶えられなかった不遇の弟。かわいそうと嘆くことは無い。彼は確かに覚悟したのだ。あの晴れやかな笑みがその証拠。これは自分のエゴである。好意の押し付けだ。シュナイゼルはそう念じた。だから、後ろめたさを感じることなく、どうかこの夜空に咲く幾多の大輪を見ていて欲しい。これは私の我侭だから、と。
 念じ、念じて、聞こえてきた幻聴にシュナイゼルは瞳をたゆませた。

みえているよ