ペンドラゴンの地下、長い長い螺旋階段がある。鉄の無機質な音が硬質なブーツの足音を際立たせていた。
かつんかつんかつんかつん。
ルルーシュは足音の一つ一つを確かめるように、その長い螺旋階段を降りていった。もちろん、一歩斜め後ろにはスザクを従えている。ルルーシュはスザクを振り返り、その表情を伺う。
「懐かしいか?友達だったんだろう?」
「……彼は友達じゃないよ。ただの同僚だ。君こそ、仲のいい後輩だったんだろう?」
「まさか。冗談は止せ。」
ルルーシュはそう言い切って、足元の暗い螺旋階段に目を凝らし、最後の段を降りた。降り立った先には頑丈な鉄の扉があり、その両脇にいるギアスを掛けられた兵士が姿勢を正してルルーシュに敬礼した。ルルーシュは仰々しくも演技ぶった仕草で腕を払う。
「通せ。」
その一言と同時に重々しい鉄の扉はゆっくりと開いた。
鉄の扉に見えるのは、古臭い牢獄だった。皇暦が二千を刻み、例えKMFが地を駆け空を飛ぼうと、この空間だけは時は進まず、中世の姿のままで時を止めている。錆びた匂いが立ち込める牢に囚人たちの姿は見えない。二人は空の牢には目もくれず、ただほの暗い廊下を足早に歩いていった。幾らか歩いた後、この牢獄に唯一投獄されている囚人の前で二人は立ち止まる。
ルルーシュはその拘束衣にくるまれた囚人を見下げ、
「ご機嫌は如何ですか?……ジノ様。」
と無様に転がる男を鼻で笑い飛ばした。ブリタニア製の拘束衣がジノの口までベルトを巻いていて、ジノから不満が漏れることはない。太陽の下で輝くブロンドの三つ編みは、この地下牢の埃にまみれてくすんでしまっていた。しかし鋭く光る眼光が、ジノの誇りがまだ太陽に成り代わって彼を輝かせているのを示していた。キィ、と甲高い音が鳴り、男を収めている牢獄はルルーシュとスザクを飲み込んだ。
「―――残念だ。丁重にもてなしたつもりでしたが、気に入ってもらえなかったようだ。」
屈する気配のないジノの視線にルルーシュは肩を竦め、妖艶に微笑んだ。ジノは殊更眼光をギラギラとたぎらせてルルーシュを睨んだ。それに応えるように、ルルーシュは笑みを深くする。
「素敵な格好だ。とても良く似合っていらっしゃる。貴族とは―――、庶民とも程遠いお姿だが、悪くないでしょう。軍人のあなたにはぴったりだ、ナイトオブスリー。」
芋虫姿のジノをルルーシュはせせ笑う。そのまま、片方の足をジノの顔に乗せた。
「憎きシャルルの騎士。」
ブーツのヒールをちょうどこめかみに宛がい、そのまま、ぐっと片足に力を込める。ルルーシュの非力な力も、その箇所ではひどい痛みをジノに齎した。しかしジノは、ぐ、とか、う、とかの小さな呻き声を漏らすだけで、ルルーシュが望むような悲鳴は聞けなかった。下からルルーシュを見上げる眼は極めて反抗的なもので、ルルーシュの不満を煽った。ルルーシュはつまらなそうに足を退けて、そのままジノの頭を蹴り飛ばす。ジノは逆らうことなく後ろに頭を仰け反らせ、また惨めったらしく牢屋の埃が溜まった石畳に転がった。
「憎たらしいな。怯えるならまだ可愛げもあったものを。」
ふん、と鼻を鳴らし、ジノを見下げる。が、何かを思いついたかのようにまたわくわくと悪戯めいた笑顔をルルーシュはのっぺらぼうな顔に貼り付ける。
「ジノ、」
ルルーシュは自分が持てるだけの、甘い声でジノを呼んだ。ジノは呼びかけられた声にのろのろとルルーシュの方を見る。微かな困惑を感じ取ってルルーシュは甘い声のままジノに語らった。
「どうしてお前はシャルルの騎士なんだ。お前が奴の騎士でさえなければ、こんな酷いことをせずにすんだものを。ヴァインベルグの名など捨ててしまえ。もうそんなものは役に立たない。お前が貴族をやめると言うのなら、シャルルへの忠誠を切って棄ててしまうというのなら、俺はお前を喜んで解放しよう。」
ルルーシュはジノから二三歩遠ざかった。後ろに控えていたスザクに凭れ掛かり、顔のすぐ傍にあるスザクの頬を撫でた。スザクも頬に宛がわれたルルーシュの手を自分のもので覆い、ルルーシュの耳の辺りに顔を埋める。ルルーシュは擽ったそうにくすくす笑い出し、スザクもそれに答えるように後ろからルルーシュ腰に腕を巻きつけた。妖しい雰囲気を漂わせる二人に、ジノは怒りを含ませた睨みを投げかける。
「今更敵が一人、増えたところで。全てスザクが切り伏せてくれる。」
スザクは巻きつけた腕の拘束をさらに強めてルルーシュをジノから遠ざけるように己に引き寄せた。ルルーシュの耳元から、ジノの方をちらりと盗み見て、ジノの存在を疎んじるように眼を眇める。ジノさえいなければ、今にも情事にことを運び出せるとでも言うようだった。ルルーシュは艶やかに笑い、腰を拘束するスザクの腕を撫でた。スザクの顔と自分の顔を近づけ、唇に触れた。色欲をそそる眼を細めて吐息を漏らす。
「なあスザク?」
スザクはそれに返事をせず、ルルーシュの桜色の唇に自分の物を押し付けることで答えた。ジノのギラつく眼はさらに凶悪になり、髪さえ怒りに逆立っているかに見えた。その怒りは、ルルーシュを深く満足させる。ふん、と勝ち誇った嘲笑をジノに投げかける。スザクに拘束を解かせ、凶悪につりあがるジノの双眼を覗き込む。そこにあるスカイブルーの瞳があまりの怒りに濁り始めているのを確認して、ルルーシュはもう一度笑みを浮かべる。ジノは目の前で火花を散るのを感じた。ルルーシュの壮絶に美しい笑顔に気を取られ、ジノの頭を蹴飛ばそうと構えられたルルーシュの足に気が付かなかったのだ。ルルーシュの足はジノの顎を蹴り飛ばした。なんの備えもしなかったジノはその蹴りをもろにくらい、頭蓋骨の中で脳味噌がゆれるのを感じた。溜まらず漏らした呻き声にルルーシュは恍惚といった溜息を漏らした。
「ははっ、痛快だ。」
その言葉が聞こえたかと思うと、すぐに腹に蹴りが襲う。ジノは体をくの字にまげて痛みにもがく。痛みを逃がそうと拘束された手足をつんのめって、うまく痛みを逃がしきれずまた足掻く。その様子にルルーシュはまた上機嫌に笑う。ジノは痛みに体を捻らせながらも、醜い感情で濁らせた。それに気づいたルルーシュは既に解れかけている三本の三つ編みを掴んだ。非力なルルーシュではジノの体ごと持ち上げることはできず、ジノの濁りきった眼を確認しようと体をかがめるようにした。ルルーシュがジノの瞳を見つめ、ジノはそれに逆らうことが出来ず同じようにルルーシュの瞳を見つめ返した。
悪魔だ。そうジノは考えた。この男は悪魔だ。きっとこの世の全てを大罪に貶める存在だ。現に自分の内側はこの男によって無惨に引き裂かれていた。この男は魔性だ。ジノは自分に言い聞かせる。騙されてはいけない。飲み込まれてはいけない。引き込まれてはいけない。心奪われてはいけない。自分がこの悪魔の手に落ちれば、この男はまた別の存在を貶めに掛かる。
ふざけるな。ジノは声を上げることの出来ないまま叫んだ。ふざけるな。そんなこと許さない。誰にも譲るものか。この男に触れるのは、この男を手に入れるのは自分だ。ジノ・ヴァインベルグのものだ。スザクになど、ほかの誰であろうとこの悪魔を奪われるわけにはいかないのだ。
ジノの瞳を不可解そうに見つめた後、ルルーシュは「そうだ。」と思いついた。ジノをつるし上げていた三つ編みをぱ、と離し、ジノの体重に耐え切れず抜けた何本かの金髪を手から払った。解放されたジノは牢獄の埃が積もった、堅く、底冷えするような冷たい石畳の上にぐしゃりと体を転がした。
「誇り高いヴァインベルグ卿は、このままでは屈辱で死んでしまわれるだろう。」
ルルーシュはジノも頭の方に膝をついてかがみ込んだ。微かに目を見開かせるジノにもう一度妖艶に微笑みかけて、ジノの口を拘束していたベルトに細く長い指を伸ばす。
「選ばせてさしあげますよ。この牢獄で屈辱のままに死ぬか、この場で舌を噛みきってしまうか。どうぞ好きなように。」
ジノの目はギラリ、と光った。屈辱に燃えているのだろうとルルーシュは考えた。ベルトを緩み始めると、ジノの燃える眼がますます力を込め始める。ベルトが完全に取れると、長時間の厳しい拘束で赤く鬱血したジノの口元が顕になる。ルルーシュは本当に舌を噛み切ったりしないだろうかと考えた。目の前で舌を噛み切られる、たいした衝撃映像だが、それもまたいいだろう。ジノの口元はルルーシュに向かって、らしくない卑しいニヤリ笑いを浮かべた。ルルーシュはそれに答えるようにまた壮絶に美しい微笑をその顔に称えた。
ジノはニヤリと爽やかさの欠片もない笑みを浮かべたかと思うと、拘束してある体を無理に起こし、すぐ傍にあるルルーシュの顔に、
「・・・・!」
キスをした。いや、キスともいえない、頭突きや突進の矛先がずれただけのようなものだった。ルルーシュにはジノが最後の抵抗に突進してきたのかと思えた。しかしそれでもジノの唇はまっすぐにルルーシュのものに向かっていったのだ。がちり、歯と歯がぶつかり合い、痛みを伴うキスを強行されつつも、ルルーシュは驚きに眼を零れ落としてしまいそうなほど見開き、痛みを認識できずにいた。ルルーシュの眼に、文字通りそのロイヤルパープルに映る深い笑みの自分を見てジノは一際深く笑った。深く鈍く、ジノの眼光がルルーシュの眼を覆っていく。ぺろり、と離し際にルルーシュの唇を舐めてジノは言った。
「キスぐらいで真っ赤になって、可愛い人ですね。ルルーシュ先輩。」
ルルーシュの切れた唇から舐めとった血液は想像を絶する甘みをジノの舌に感じさせた。箔の付いた演技じゃないですか、とジノはそれぞれ獣しかいない牢獄でルルーシュに囁く。ぞわりぞわり、醜い感情が獄を満たしていった。