・鬱々しい三十路手前の本田さん
・オタク根暗発言の九割九分九厘が建前
・二次元至上主義三次元も人間も女の子も怖い
・一週間に一回は自分は死んだほうがいいんじゃないかと考え込む
・くたびれた姿勢の悪いリーマン
 昨日は完徹だったもんだから、従業員が出勤し始めた頃に、ラッシュのないくだり電車に、屍よろしくで揺られながら帰った。三十路手前のおっさんには非常につらい日だった。隈はひどいし、顔色は末期患者が脱走したみたいに真っ青。家に帰ったって誰も居ないし、あるのは寂れた日本家屋に母さんの遺影。抱き枕やポスターから美少女たちが這い出てきて、看病してくれるなら話は別だけど。敷きっぱなしの、埃っぽい布団に潜り込んで、そろそろ干さないとダニが沸くなと眼を閉じた。うだつが上がらない男って、きっと私みたいな男のことをいうんだろうなーと、自虐的に笑うっても、広いんだか狭いんだか分からない部屋で響くだけだからなんか余計にむなしい。寂しい一人身、しょうがない、オタクだもん。厚みのある女性って怖いもの。知ってるよ。今日仕事押し付けたあの、可愛い女の子。仕事押し付けても断らない男とか、絶対私に気がある、とか言ってるの知ってますから。てゆうかありません。だってあなた三次元じゃないですか。あと、あなたに気があるなら私全世界の女の子に気があります。二次元の次くらいに。枕を濡らしたって誰も慰めてくれない。しょうがないね、寂しい一人身のオタクだもん。
 積ゲーにしてたRPGとギャルゲーに手をつけて、次のオフ会で切るための衣装を作って、精気を養ってから出勤すると、どうも女の子たちの黄色い声がいつもより騒がしい。何かあるのかなーと、窓際一歩手前の自分のデスクにいそいそと座る。ああゆうのは関わらないほうが得策だ。関わらないようにパソコンを立ち上げると、黄色い声がどっ、と大きくなる。あまりの大きさに無視できず、こっそりと顔を上げてみると、ああ……、上司に連れられて、背の高い金髪の外人さんがオフィスに入ってくる。すらっとした手足に、すっと高い鼻、彫りの深い顔立ち、全体に溢れ滴る男性フェロモン。スーツばっかりの空間に、ファッション雑誌に載ってるような服装。男にしたら長い髪も、顎にちょっとだけ生えている髭も、超似合ってます。スクリーン越しでしか見れないほど美形のお兄さん。笑顔と流し目振りまいて、そりゃ女の子の悲鳴も分かる。いいですねえ、と他人事ですませようとすると、上司が私の姿を確認して、まっすぐこっちに向かってくるじゃありませんか。止めてください。こっちは鬱々しい気分をなんとか乗り越えてやってきてるのに、余計な仕事増やさないで欲さないでくださいまじで! 心の中で悲鳴をあげてると、こっちに向かってくるパツキンのお兄さんと眼が合う。何を思ったかウィンクしてきやがった。あいにく、男にウィンクされて喜ぶ趣味は持ってない。どうせなら、女の子にしてあげてください。百倍喜ぶと思うから。
 私が座ってるデスクの真ん前まで来て、上司は金髪の外人さんの紹介をさらっとこなす。要約すると、この稀に見る美形のお兄さんはフランシス・ボヌフォワさん。フランス支社から転勤してきたから、面倒見てやってということ。日本語もペラペラなんだって。すごいね、エリートだよ。
 うちの上司は割りと渋い、有能な雰囲気を出す白髪交じりのナイスミドル手前で、背も高けりゃ足だって長い。その上司すら、その外人さんと一緒に歩くと霞んで見える。こっちは百七十センチもない短足だ。未だに高校生に間違われるほどの童顔だけれども、美少年にみえるとかそんなことはありません。一般人のなかの一般人。キングオブ普通。見劣りってレベルじゃねえぞ! 内心gkbrと震えていると、フランシスさんはやっぱりフェロモンむんむん撒き散らしながらさらっと握手を求めてくる。
「よろしくね、菊ちゃん」
 おいおい三十路手前のおっさんに、ちゃん付けって……。無理に作った愛想笑いは、引きつってて、無理に吊り上げたほっぺたの筋肉がばきばき言ってる。それでも自分の手の一回り大きいフランシスさんの手を引っ掛けて、握手に応える。フランシスさんはそれに気を良くしたのか、大げさにその手を振る。
「頑固だって聞いてたから、どんなむさい奴かと思ってたら、こんな可愛い子でお兄さん安心したよ。こんなに若いのに、大きな仕事任せられて、すごいねえ。仕事出来るって、期待の的なんだって?」
 その情報をどこから仕入れたのか詳しくお願いしたいところだ。期待の的って、何ぞそれ。でも顔だけはへらへら笑って、「まさか、そんなことありませんよ。フランシスさんこそ、日本語がお達者ですね。日本人みたいです」なんて言っておく。するとフランシスさんは二枚目な顔で嬉しそうに笑う。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない」
 それなんて阿部さん。アッー!! とか失礼なこと考えてると、上司も気が合いそうで良かった、なんて見当違いなことを言い出す始末。フランシスさんはその上に重ねて、「ラブラブよー」なんて肩を抱かれた。だからそういうの、女の子に言ってあげて、喜ぶから。周囲の視線も興味津々。視線が痛いってもう耐えらんない。きゃあきゃあって、嫉妬と、なんかべつのものまで交じり始めてるし。
「あははー」
 愛想笑いを撒き散らしながら、がっちりと抱き込む腕から逃れようと躍起になる。「照れなくていいよ」とフランシスはぐい、と顔を近づける。近すぎる。上司はにこやかにうまくやっていけそうだと微笑んでいる。頼みの綱の男性人は視線を向けると、さっと逸らされてしまう。
 もうほんと、これだから三次元って最悪。フランシスさんからほのかに感じる香水の臭いに、悪酔いしそうだ。