「もし私が男だったなら、」
 日本はその言葉を皮切りに話し始めた。
「あなたが傷つくのを遠くから見ているだけなんてことはなかったかもしれません。何もせずとも傷が増えていくのではなく、抵抗による傷を受けることが出来たかもしれません。そもそも女であっても反抗できるような、強い腕っ節があれば問題もなかったのです。刀も持てない、鉄砲も持てない、ひ弱であった私の腕が悪くはあったのです。もし私が、ハンガリーさんのような気丈で大胆な女性であったなら、建物の奥に引っ込んで、戦場へ出て行く男を見送るだけなどという、どっちにとっても非情な役割を担うこともなかったと思うのです」
 日本がそうして自分が男だったならという仮定の話をすることは特に珍しいことではなく、二人で居るときは日本の話は特に長い。周囲の目があるときは決してこんな話はしない。日本は自分が女であることを誇りだというように振舞う。女らしい、男らしい、なんて言葉が疎んじられる世相ではあったが、その姿は話に聞く大和撫子そのものだった。清楚で慎ましやかな日本を、国として批判的にとるものもいるが、女としては決して日本を嫌ってなどはいなかった。スイスはその典型例だ。妹と日本を並べて、よく似通う二人に微笑ましく思っている姿をよく見かける。イギリスもそう思っていた。女としては些か身体的な柔らか味に欠けるが、日本はそれを補うものを持っていた。一途ないじらしさに惚れ直すことも幾度となくあるし、献身的な居住まいは、殺伐とした空気に神経を磨り減らしたイギリスを癒してくれる。
「何故国である私が、国民の先頭に立って、敵国と正面から向かい合わなくてはならないはずの私が、国民の背に守られなければいけなかったのでしょう。私が男であったなら、刀でも竹槍でも持って反抗できたはずなのです。国民が傷つけられ、領土を侵され、そして初めて傷つくのではなく、初めから私が戦場へ立って傷つけたはずなのです。無駄な血が流れずに済んだかもしれない。誰かが泣くことを防ぐことが出来たかもしれない。何故私は女として生まれてきてしまったのでしょう。私が男であったなら、筋骨逞しい、戦うことの出来る女であったなら、誰かは傷つかずにすんだ人間もいたかもしれない。何故、国として、男ではなく、真っ先に蹂躙されてしまう女として私は生まれてきてしまったのでしょう。男なら戦うことが出来ました。泣き崩れることも許されない、待つことしか出来ない女に、心配するなと気休めでも言ってやることが出来たかもしれない。何故私は待つことしか出来ない女であったのでしょう。男なら、男であったなら、守れたものもあったかもしれない。守れた人間もいたかもしれない。何故国である私は女であったのでしょうか。私は男に生まれたかった。戦うことの出来る国として生まれたかった。戦場へ出る男たちへ激励を送れるような国でありたかった。私は気休めの言葉すら口に出来ず、安全な場所に引きこもってばかりの、なんと情けない女であったことでしょう。子を守る母にすらなれない。戦場で傷ついた兵たちを癒すことも出来ない。心細い友の肩すら抱いてやれないろくでなしな女であったのでしょう」
 包囲網を破られた国の一つであるイギリスは、国が先頭にたたない日本を弱い国だと思ったことはない。ロシアと敵対するために組んだ同盟も、日本はその身を削りながらもロシアを打ち破って見せた。国が先頭に立たずとも、日本は強い国であったとイギリスは思う。しかしそのときから日本の肩は細く、またその肌は白くあっただろう。非力だと嘆く日本の憤りが分からないわけではないが、日本を守るために男たちは戦ったのだ。守るだけの国であった日本が、自分を貶めることなどないとイギリスは思う。彼女は戦うことは出来ずともいつだって毅然ではあった。それだけで十分だろうとイギリスは思う。か弱く、しかし誇り高い日本は、庇護欲をそそられるような人柄で、そのために力を出せた兵だって少なからずいるだろう。なのに自分を責められずに居られないのは、彼女が責任感と使命感に溢れる、実直な国だからに違いない。
 二人きりの時に限り現れる、男でありたかったと嘆く日本もいじらしく思えたし、また心細気な背中は庇護欲をそそられるものだった。イギリスのために尽くし、度量の広い姿は母を思い起こさせた。神経を磨り減らしたイギリスを抱きしめ、どんなくだらない泣き言も嫌な顔せず真剣に聞いてくれる彼女は、どんな女よりも輝いて見える。イギリスは日本が自分を卑下する度にそんなことはないと反感を覚える。日本が感傷的になり、自分を責め立てるのも分からなくない。ただイギリスにはただの卑屈な自己満足にしか思えなかった。いくら自虐したところで日本は女で、歴史は変えられないのだ。過ぎたことを責め立ててどうするというのだろう。すべらかな肌や控えめな胸も、十分魅力的だ。わざわざイギリスでなくとも事足りるような、むしろ、日本を後ろから抱きしめているイギリスなど存在しないように語るのは、どうしたって腹が立つ。イギリスだって、数少ない日本の愚痴には付き合ってやりたい。しかし睦言として扱うには、日本の自虐は些か色気の足りないものだ。イギリスの愛を語るわけでもなし、会えない時に募った慕情を込めるわけでもない。恋人に背を向け、情事のあとに語ることだろうか。イギリスが日本を抱きしめようが、日本はそれに応える様子はない。せめてイギリスの胸に顔を埋めて語ったなら、腕に込める力を強くし、日本の頭を撫で、そんなことはないとイギリスが普段思っていることを教え諭しただろう。
 イギリスは日本の腰を強く抱きしめた。
「お前が男だったなら、こうはならなかったかもしれない」
 日本は女でよかった。イギリスはそう思う。もし日本が男だったなら、二人は果たしてこんな風に寄り添うことが出来ただろうか。日本の首筋に顔を埋め、イギリスは自分を認めない日本に噛み付いた。日本は一瞬身をすくめたが、それだけだ。イギリスのしたことに反応もせず、やはり背中を向けたままだった。日本にその気がないのに手を出すほど、イギリスも落ちぶれちゃいない。イギリスは気まずい空気を感じながら日本の首筋を話した。イギリスには睡眠に逃げる以外の道がない。お預けを喰らったような気がしながら、イギリスはぎゅっと目を閉じた。すぐに寝られるわけなどなく、目蓋の中の暗闇でイギリスは日本を強く抱きしめた。こつこつこつ、と時計が秒針を進め、恋人と過ごすにはあまりに虚しい時間が重なっていく。何時間にも感じられた長い長い時間を越した後、日本はぽつりと呟いた。
「もし私が男だったなら、今も貴方の隣に立てたかもしれない」