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今日、皆々様にお聞かせ願いたく思いまするは、昔々のお話でして、これが愉快愉快、腹を抱えずにはおられねえ、ばかな男の話でござい。さあさあまずこの男の話をする前に、少々の前置きをせねばなりやせん。人を狂わすのは金、酒、恋。このみっつと決まっていやす。なれば女を狂わすのは嫉妬の一手。ならば男は、へいへいそこの旦那、あんたを狂わすのはなんでごぜえます。……へい、へい、その通り。男を狂わすのは女の一手と、遥か物語の祖から、唐土の楊貴妃まで、知らぬ者は居りますまい。しかし男ってぇ畜生は、愚かしいもんでねぇ、女だけでは物足りねぇってもんだからのうがねえ。誠にばかな男の話でごぜえます。そもそもその男、生まれも育ちもこの大和でない。その男、生まれ育ったのは遥か彼方海とでけぇ土暮れを通り越し、七つの海を股に掛け、透けるような紅毛と宝石と見紛う目玉を携えてやって来た。大胆不敵、悪逆非道、荒む世の中、怒号が飛び交い血飛沫舞い上がる中を屍踏み締めながらやって来たその男。まさにこの世に轟く大帝国。またこの男。稀有に物珍しい男だった。ただの物の語りのあっしにゃあ分からねえが、男は人じゃありやせんでした。しかし男は男だってんだ。色こそ違えど、あっしと同じように四肢をもち目玉と髪がありやした。さあさ、皆々様。とっくの昔にお気づきだろうが、ばかな男たぁ、こいつのこと。七つの海を股に掛け、この世の財宝かき集め、選り取り見取り女を侍らせ、髑髏を積み上げ作った上座でふんぞり返るこの男が、狂いに狂った与太話。どうぞ心置きなく、聞き惚れておくんなせえ。
まずにこの男、女っていうものをまるで信じていなかった。女嫌いとは訳が違う。男にゃあ選り取り見取りの別嬪が毎夜毎夜奉公してたっつう、まあ羨ましい限り。しかし男にゃあお気に入りってのがいなかった。二晩同じ女を抱いたことはねえ。男にとっちゃあ、自分に抱かれる女なんてのは、切り込みが入ったこんにゃくと、そう変わらねぇ。ただの一人遊びに過ぎなかったというわけで、まあこれも妙な話。男にゃあ慕い付き添う御人が一人だっていやしなかった。達もいねぇ、家族もいねぇ、男は孤高の存在だったんでさぁ。男がそれを気にかけるなんてこたぁ、とうとう男の生涯一度もなかった。上座に座るは殿様ひとり、男もまた、上座に座る故にひとりでありやした。ほらそこの旦那、欠伸してる時分じゃねえ。男の狂い話、それはここ、大和の国を踏みしめたことから始まりやした。男、これはもう稀有な晏畜生でしたが、同類がいなかったというとまた違う。男は、この大和の国で、男と同類のこれまた男と出会ったというわけです。 出会った同類というのは、生まれも育ち大和、生粋の大和男児ってわけです。しかしまあ大和男児と言ったところで、男は粋で鯔背な輩とは少しばかり違ぇやした。奇特な男の同類は、おんなじように奇特でありまして、男は男でありやしたが、男というには華奢で、女と喚ぶにはちと固ぇ。しかし好色二匹が揃ったなら、やることなんざぁお決まりだ。男はそいつを抱きやした。それまでのとっかえひっかえ振りが狂ったように、毎晩毎夜、男はそいつの相手だけした。穴が巧い具合にはまったからかもしれねぇが、男の執着っぷりは、そら異様なもんに映ったろう。何人かの下衆は、男のおこぼれを貰おうとそいつに手を出した。実のところ、男が一度抱いた女は、その後男の連れの玩具でありやした。男にとっちゃ女なんてぇのは玩具以下だ。下衆な連れに抱いた女をどう扱われようが知ったことじゃねえ。ところがそいつに指一本、声一掛け、近づいた下郎は片っ端から切り刻んで魚の餌にしちまいやがった。上座にふんぞり返って、下々を踏みしめて生きていくはずだった男は、何を間違えたか、そいつに骨抜きにされちまいやがった。男の同類っていうのは、世界のどこを探したってそう多くいるわけじゃない。そいつはそれを良く心得た奴でねぇ。孤高故孤独に荒んだ男の、だあれも赦されなかった柔らかい所をちょちょいと探り当てて、痛くはないか寒くはないかとさすったのさ。男は大層驚いただろう。生まれてこの方皆気付きやしなかった男の孤独。会って間もないそいつが探り当てた。実はまたそいつが、界隈では有名な性悪でしてねえ。強い奴の陰に隠れてはこっそりと蜜をすすり、しなだれかかり、蜜を吸い尽くしたならば、また他の男の陰に潜り込む。男が陰に潜むようになったのも、男が性悪が取り憑いていた陰を熨しちまったからなのさ。そりゃあ前の陰とは古い古い付き合いさ。兄のように慕い、ぴたりと背に着いていた存在を、それより強ぇ奴が現れた途端はいさよなら。しかし誰もそいつの陰口は叩けねえ。魚の餌にされたいのなら、話は別でございやしたが。男はその性悪の屋敷に入り浸った。小鳥がピーピー鳴くように性悪を口説きやがる。今まで一度たりとも、女すら口説いたことがねえ男が口走れることなんざたかがしれてら。聞くも無惨な見当違いに違いありやせんでした。だがそれを性悪が見過ごすはずがねえ。性悪に幻滅されたんじゃねえかとビクつく男に、そっと手を重ねたりして、猫撫声で返事をするのさ。想像しておくんなせぇ。人でなかったとして、奴こさんらはいい年した男ですぜ。その見掛の薄ら寒さったら、おお口にすんのも寒々しい。そいつもそれを十分理解してやしてね、男との時間を誰の憚りも受けたくねぇと、座敷の奥の奥、下男下女ですら声も聞けねえところに二人っきりで閉じこもった。そこは言うなれば、張り巡らされた蜘蛛の棲家。男の何もかも絡め取って、男は女郎蜘蛛に騙されたともしらねえ馬鹿な蝶々と大差ない。けれどもそいつぁ、男に多くを望んだりはしなかった。当然でさぁ、稀代の性悪の目論見は、男に貢がせるためじゃねえ。男に矢面を立てさせちゃあ、そこで甘い汁を啜るのが生業みてぇなもの。金や喰い物が欲しい訳じゃねぇ、男の与り知らぬ処で、男が他所から巻き上げてったもんをがりがりと削り取ってやりゃいいのさ。そんな素振露とも見せず、あんたと過ごすだけでいい。抱きしめてくれりゃそれ以上は望むまい。性悪は男にそうお経を読み上げるみてぇに繰り返し繰り返し男に聞かせた。莫迦な男でございやす。疑りもせず、男は性悪をぎゅうぎゅう抱きしめる。ほんに莫迦な話でやすねぇ。 男は大和を土を踏みしめてから、丸々男と過ごしていやしたが、実のところそうはいかねぇ。とんだ腑抜であっても男はまだまだ世の中を震え上がらせる暴君だった。己に向けられた牙は根元からへし折らなきゃ気が済まねぇってもんで、男とそいつが離れることは別段珍しいことじゃありやせんでした。しかし男はそれを一一今生の別れのように思った。自分の居らぬ間に心変わりしやせんか、自分の居らぬ間に下衆に手篭めにされやせんか。そういう下らねえことを考えちゃあ性悪との別れを渋った。性悪はどう思いやしたかねえ。あっしにゃあ想像も付きやせん。ただそいつは、ちょいとも寂しい素振を見せず早く早くと男を急かす。それ行けやれ行け、早く行け。男はどう思いやしたかねえ。やあ嫉妬深いあの男、烈火の如く怒り狂ったに違いねえ。腹癒せに男に喧嘩を吹っ掛けた脳味噌の足りねえ莫迦を叩きのめして、一刻と無駄にせず性悪が巣を張る座敷の奥の奥に怒鳴り込んだ。そこで男が見たと言うのは、ほそっこい体を更に痩せこけた性悪でした。性悪が言うには、男が心配で食事も喉を通らぬとのこと。男が出てってから一度も日の光を浴びず、男と過ごした座敷で無事を祈って延々と読経してたと。なんとまあ、作り話みてえに意地らしい話だ。男は性悪に惚れ直して、今まで以上に盲目さ。綺麗な目玉を性悪に刳り貫かれちまった。性悪とまた、薄ら寒い飯事の繰り返し。男が出て行こうとするとやれ行けそれ行け早く行けと急かしたてる。帰った男が見るものは痩せ細った性悪さ。それでも何にも強請らねえそいつに、男は何か遣れる物はねえかと考え込んだ。傍に居るなら以外は望まぬ、と意地らしいそいつの傍に、男は居られぬのでございます。おお何たる悲劇!っと、そう男は考えたというわけです。へえげに莫迦な話です。やがて次に男がそいつの傍を離れることになる時分が来やした。しかし性悪は男を急かすばかりでまるで欲がねえようだ。あぁこの意地らしい愛しい人に何か授けて遣れるものはないものか。男の悩みはそればかりだ。それは男がそう思っているだけでありやしたが、男見てえに目玉刳り貫かれちまえばそれも仕方がねえ。へえお聞き下せえ、個々からが本当の莫迦話。あっしは確かに目ん玉を刳り貫かれたと言いやした。だからといって本当に性悪が男の目玉を刳り貫いたわけじゃねえ。正しいものが見えずとしても、男の両眼はきっちりと性悪の顔を見ることが出来た。男の髑髏のまあるい穴二つにはあるもんが確かに嵌っていた。性悪が飛び切り誉める、宝石見てえにキラキラ光る、鶯色をしたきれえな目玉がきっちり嵌め込まれていたと言う訳です。何を思ったかその男、その目玉の片方を自分で刳り貫いちまったのさ。しかも性悪が男を急かす目の前で、それを刳り貫いて見せた。性悪もさすがにこれは、堪えた。驚き呆れ、怯えるは取り乱すやらで大混乱だ。性悪は、男がよもや此れほどまでに莫迦だとは思っちゃ居なかった。あんまりのことに思わず泣き出した性悪に、男は綺麗なまん丸のまま刳り貫いた目玉を持たせた。片方の真っ黒の空になった穴からだらだらだらだら血涙流しながら、凄惨な光景だったろうさ、あっしでしたらちびっちまいそうだ。男は泣き続ける性悪に笑いかけてそのまま性悪を置いて、また脳味噌を持たない莫迦を叩き潰しに出かけた。 それからも男とそいつは仲睦まじい様だったが、時代の流れとともに、性悪が居座る影もまた変わって行った。性悪が男の次に居座った影が、男の義理の弟だってんだから現って言うものは分からねえもんさ。性悪は男にしたようにその新しい獲物に擦り寄った。義理といえど兄弟だもんだから、やっぱりそれも上手くいった。男はどう思ったでしょうかね。あっしはもう想像したくもねえや。だが不思議なことにね、性悪は唯一男から貰ったものの、綺麗な宝石見てえな目玉だけは持ち続けた。義理の弟から嫌な顔をされようと、それだけは頑なに持ち続けた。実のところは誰も知りやしないが、もしかすると性悪は心から男を愛していたのやも知れねえ。ただの罪滅ぼしかも知れねえし、持ち続けることで男の怒りから自分を守っていたのかもしれない。まあそんなおどろおどろしいものを貰っちまったら、捨てるのも持っておくのもどっちも辛いでしょうが、ともかく、性悪はそれを持ち続けた。鶯色をした、いや、もう腐っちまって、褪せた色をしたその目玉を性悪は肌身離さず持ち続けた。男が最早正気でなかったように、もしかすると、性悪も最早正気の沙汰じゃあなかったかもしれない。それも最早、知るところのないことでごぜえます。そいつぁその内、人より長い命を終えて、また新しく人に成り代わった。もうどれだけ姑息な真似をして生きながらえていたかなんて、欠片も覚えちゃいねえのさ。これもまた、幸せと言えば幸せかもしれやせん。だが男はそうは言っちゃおれぬ。誰よりも愛しいその性悪を、取り返さねば気が済まねえ。しかし男もそのうち、性悪と同じように新しく人に成り代わった。何にも覚えちゃいねえ、何にも分かりやしねえ。だがどうしても腹の虫を据えかねる。だから探してんだ。形を変え人を変え、まだどっかで生きてる性悪をとっ捕まえなけりゃ気が済まねえ。あの性悪が頑なに持ち続けていたあの鶯色の目玉を頼りに、男はまだそいつを探してる。男は知っているぞ。何にも覚えちゃいねえ、何にも分かっちゃいない。けれどそいつが、自分のもんだとは知っている。酷い裏切りがあったと知っている。殺しても足りねえぐれえ憎い奴が、まだ生きてると知っている。ほらそこの旦那、真っ黒な髪と目玉の可愛子ちゃんよ。怯えてないでさっさと逃げな、あんたのほら、手の内のそれを頼りに男が来るぞ。お代はいらねえ、ほれ逃げな。男が血涙流しながら追ってくる。今度は達磨じゃすまねえぞ。 |