繰り返すデジャブ
「ねえ、日本君。日本君、日本君。お話ししませんか。お友達に成りませんか。君の家に入れてくれませんか。僕等お隣さんなんだから、仲良くしようよ」
 どん、どん、どん、どん。木の扉を叩くと、あんまり脆そうだから、壊してしまうんじゃないかとロシアは心配になった。壊したら、日本は怒るだろうか。
「(怒るだろうな……)」
 友達になりに来たというのに、怒らせていては世話がない。でも、こんなに脆いのがいけない。ロシアは言い訳をしながら、更に強く扉を叩いた。既にギシ、ギシ、門は危ない音を立てている。それから、日本がさっさと出てきてくれないのがいけない。もうずっと立ち尽くしているというのに、一向に反応がない。何で、出てきてくれないのだろうと、疑問に思うほどもなく、日本は今、絶賛引きこもり中だ。
「(……さむい……)」
 日本の家は、とても暖かいと聞くけれど、きっと嘘だとロシアは思った。とても寒い。早く家にあげてほしい。温かいスープに、紅茶にジャムを溶かして、ボウボウ薪が燃える暖炉に当たって、日本に毛布を貸して貰おう。早く、と走る気持ちから、どん、どん、どん、どん。扉を叩く力は強くなっていった。
「ねえ、明けてよ。お話しを、しよう」
 びゅうびゅう北風が吹いて、ロシアの片方半分に雪を積もらせた。これぐらいのこと、大したことではないけれど、何時間となるとやっぱり寒い。
「ねえ、開けて、ってば」
 どん。一際木の扉を強く叩くと、薄いその向こうから、ひぃ、と小さな悲鳴が上がる。
「日本君、酷いな。そこにいるなら、返事ぐらいして欲しかったよ」
「いま、今来たんです」
「随分、遅かったね。開けて、家に入れて、寒いんだ」
「……で、」
 日本君が何か言いかけたのを、一際大きな吹雪が、軽い木の扉をガタガタ揺らしてかき消した。日本はその音に怯えて、また、今度はもっと小さく「ひぃ……」と悲鳴を上げた。
「ち、違うんです。ここじゃなくて、長崎の出島まで行っていただけたら……」
「どうして。ここで会えばいいじゃない」
「皆さんに、そうしてもらっているのです。ロシアさんだけ特別というわけには」
 日本の声は、困ったように縮こまっていった。ロシアは、日本を困らせないように、なるべく優しい声で話しかけた。
「そこまで行けば、君に会えるの?友達になれる?」
 向こうの日本は黙り込んで、扉を押さえる力を強めた。ロシアはもう扉をこじ開けてしまおうかと少し悩んだが、やっぱり止めた。
「うん、行くよ。そこに行けば君と友達に成れるんだね。行くよ。すぐに船を用意しなくちゃ」
「は、はい、お気をつけください」
 日本のか細い声に、待っててね、と陽気な声を残し、ロシアは踵を返した。日本と友達になろう。優しくしてあげるんだ。怖い思いをさせて、嫌われないように気をつけなきゃ。
「(だってせっかく、何も知らないんだもの)」
 良くも、悪くも。ロシアはくすくす笑いながら雪の中をずんずん進んでいった。

「ロシアさん、ロシアさん」
 肩をそっと揺らされて、ロシアの意識は浮上した。ゆっくりと体を起こし、眠気眼で、自分を起こした日本の姿を探した。日本はロシアの隣の席で、眉根を寄せて、不安そうにロシアを見ていた。スーツ姿だ。
「居眠りは、止した方が……」
 最後まで言い切らず、日本は直ぐに姿勢を正した。そういえば会議中だった。といっても、いつも通り皆が皆好き勝手に言ってるばかりで、纏まる素振りもない。ロシアだっていつもならその中にいるだろうが、今日はそんな気分ではないのだ。日本はいつも大人しく、真面目に会議に参加している。今日は不思議と、ロシアの隣だった。
「今、昔の夢を見てたよ」
 あまりはっきりしない頭で、ロシアは日本に語り掛けた。日本はロシアの方を視線だけで見て、困惑しているような顔をしていた。
「あんまり嬉しくないけど、わくわくするような夢だったんだ」
「ロシアさん、私語は慎んだ方が」
「いいでしょ。どうせ会議なんて名ばかり何だから」
 笑ってそう言うと、日本は渋々といった様子で首を動かし、居心地が悪そうに顔をしかめた。ロシアは頬杖をついて、日本を見つめ、微笑んでみせた。日本はそれで、余計に顔をひくつかせた。
「(あのとき、)」
 あの、木の扉の向こうにいた日本は、どんな顔をしていたのだろう。か細い日本の悲鳴を思い出しながら、ロシアはそう思った。怯えていたのだろうか。嫌がっていただろうか。だとしたら残念だ。そして悲しい。寂しい。
「日本君は、昔の夢を見たことはない?」
「……あります。沢山」
 日本は苦々しげに答えた。ロシアはくすり、と笑った。
「僕も最近、よく見るんだ」
「もう年ですね。昔ばかり、良いように思うのは」
「そうかな、僕はあんまり、いい夢じゃないから」
「まぁ、人それぞれでしょう。こういうのは」
「そうだね」
 くすくす、とロシアが笑うと、日本は、怪訝そうに眉をしかめた。ロシアはやっぱりそれが可笑しくて、もう一度笑った。
「別に、友達になれればそれでよかったんだ」
「そうですか」
「そうだよ。仲良くなりたかったんだ。怖い思いなんかさせたくなかったのに」
「……世の中そんなものです」
「出来れば優しくしたかった。でも、そうすると、誰かに横から掠め取られちゃう。僕が世界を見せてあげたかった。だって、僕のお友達なるはずだったんだもの」
「はぁ」
 日本はいよいよ面倒くさくなってきて、表情も訝しげというより、迷惑そうな色が勝ってきた。ロシアの話はまだまだ終わりそうにない。
「今まで見向きもしなかったくせに、急に横から入って来ちゃうんだから……凄くイライラするんだ」
「(……アメリカさんのことですかね)」
 と、なると、話しているのはリトアニアさんのことか。日本はそう考えついて、リトアニアを盗み見た。ポーランドを抑えるのに必死になっていて、二人のことなど欠片も頭になさそうだ。なんとかリトアニアをこちらに来させられないか、日本はそればかり考えていた。そんな日本をよそに、ロシアはまたふふふと笑った。
「どうせ友達に成れなかったなら、怖がらせるのも、従わせるのも、僕が一番が良かったのに、それも取っていっちゃったし、本当、ムカつく」
「欧米事情は複雑怪奇ですね……」
「そんなことないよ。案外単純なんだ。好きか、嫌いか、利用できるか、出来ないかだよ」
「随分、殺伐としていらっしゃるのですね」
「そうかな、どこもこんなものだと思うけど」
「確かにそうかもしれません」
 何かを思い出しているのだろう。日本は遠いところを見つめ、目を細めた。笑っているのか、不愉快なのか、ロシアには判断できなかった。
「友達になるだけでよかったのに。なれたら、それで満足出来たのにね」
「人とは、欲深いものです」
「強欲なのかな。他人の物になったと思ったら、友達では足りなくなったんだ」
 日本はリトアニアに同情した。リトアニアも日本の視線に気付き始め、ロシアと日本を心配そうにちらちらと気にし始めている。ロシアは意味深げに微笑み、日本を見詰めた。
「それは、まぁ、仕方のないことです」
「日本君がそう言ってくれたら、安心したよ」
 ロシアは礼儀正しく膝に置かれていた日本の指に自分のものを絡めた。日本はぎょっとして飛び上がりそうになったが、ロシアが日本の腕を引っ張って、寧ろロシアの方へよろけた。目を白黒させてロシアを見た日本は、ロシアの楽しそうな微笑みを間近で見た。
「どうしようもないよね」
 ロシアは日本の肩を強く掴んだ。 「だってしょうがないことだもの!」
 日本はすっかり混乱して、アメリカが割ってはいるまで、抵抗もせず硬直した。離れた後も混乱して思案がうまく働かない日本は、ロシアの不愉快そうな笑い声を聞いた。