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僻みや嫉妬などではなく、単純に気に喰わなかった。そもそも自分は誰かと比べられるのがあまり好きじゃない。それは自分が誰かに劣っているからというわけではなく、むしろ、自分が絶対的な存在だと信じているからだ。誰かと比べられて存在を証明するしかないような弱っちい存在じゃない。自分という絶対的な基準が世界を動かす。そんな自信があるからだ。
なんてたってヒーロー、世界は俺の活躍を今か今かと待ちわびている。颯爽と現れては美女を救い、悪を打ちのめして世界を救う。独善的なんて言葉は所詮悪役にもなれない奴らの負け惜しみだ。俺はヒーローだから、そんなくだらない戯言なんか聞かない。言いたい事があるなら、正面切って言ってやればいいじゃないか。 ○月×日、時刻はこの国の基準に従って、午後六時二十八分。某国国会議事堂にて会議終了。 なかなか早く終わったけれど早朝に始まり昼過ぎに終わる予定だったと思い出すと、実際はそれほどでもないように思える。しかし通常よりはずっと早かった。皆夜遅くまで顔を突き合せたくなかったのだろう。 日本は凝り固まった肩をほぐしながら、人気の少ない廊下を選びながら歩いていた。会議というよりも大乱闘ワールドブラザーズに近いアレは、全く老体には辛いものだ。さっさとホテルに戻って、風呂に入りたい。喧騒から遠ざかりたい。日本は知らぬうちに早足になりながら、角を曲がった。 「わ、」 「おっと、すまねぇ、……日本さんじゃねえですかい」 「………っ、トルコさん、すみません、不注意で」 トルコを見上げた日本は一瞬だけ目をかっと見開いた。白い仮面には、今になっても慣れないらしい。 「気にすることなんざねぇさ、それより、どうですかい、これから一杯」 トルコはくいっ、と酒を煽る格好をした。日本は苦笑いして、「いいですね」と答えた。疲れが顔に出ているのにやっと気付いて、トルコは内心焦った。疲れているなら断ってくれても構わないのに、と今更後悔したが、本当のところ日本と酒が飲めるのに嬉しくてたまらなかった。 「実は……いい酒が手に入りましてね、一人で飲むには味気ねえもんで、あんたと飲めたらいいと思ってたんでぇ」 丸っきり嘘だった。あるはずないと分かっているのに、日本が断れないように釘を刺したかったのだ。自分も打算的な野朗だな、とトルコは自嘲気味な笑みが浮かばずに入られなかった。そんなことも知らないで、日本はふと顔を綻ばせる。 「そう言っていただけるのでしたら、嬉しい限りですね」 「あぁ、あんたと飲む酒ほど美味いもんはねえ。毎晩一緒に居て欲しいぐらいさ」 「そんな誉めたって、何も出ませんよ」 日本は口に手を添えてくすくす笑った。まぁなんだか、人形みたいに可愛らしくお笑いになる方だなぁ、と阿呆なことを考えて頬がゆるんだのを誤魔化して、はははと笑った。 「それじゃあ、今夜部屋にお邪魔していいですかね。そっちの方が景色が良さそうだ」 「ええ、なら肴はこちらで見繕っておきますね」 「おうそちゃ、助かりやす」 此れは最高級品でも足りないぐらいの品を用意しなければならないな、とトルコは数時間後の自分を想像して頬がゆるんだ。 イギリスのいやみから逃げ出して、人気の少ない廊下に出ると、角を曲がった先に日本が居た。嬉しくなって飛びつくと、日本は蛙みたいな声を上げて潰れた。日本はトルコと話していたらしく、トルコと俺で、日本をハンバーガーにしていた。俺はてっきり、いつもどおり妄想の世界へ逃げ出したのかと思っていた。 「少しは自分の体躯考えろぃ、小僧」 日本をしっかりと抱きとめていたトルコが声を低くして凄んだ。 「……いや、はは、すみません。ご迷惑を」 日本は半笑いでトルコの胸板に腕を突っ張った。俺はそれに乗じてトルコから日本を引き離した。 「君がいなけりゃ日本の鼻が潰れることなんかなかったんだぞ」 少し強く引っ張ったせいか、日本は少しよろけた。小さく「う、わ」と声が上がったけれど、いつものことだから気にしない。相変わらず貧弱だ。 「そういう問題じゃねえだろうが」 「じゃあどういう問題なんだい?」 仮面に空いた二つの穴にじっと目を凝らす。二つの黒い穴は影って、中に有るはずの目は見えなかった。少し不気味だった。俺とトルコの間で日本はただならぬ雰囲気に戸惑っているようだった。数秒間の睨み合いの後、トルコがふんっと鼻を鳴らす。 「自分で考えろぃ。……っと、それじゃあ日本さん、また。楽しみにしていやす」 「あ、はい」日本は緊張を解して微笑んだ。「楽しみにしてます」 トルコは最後に俺を振り返って、にやり、と俺を小馬鹿にした笑みを浮かべた。嫌な奴だ。言いたい事があるなら言えばいいだろうに。臆病な奴だ。 トルコが俺の来た角を曲がると、俺は日本に向かって笑いかける。 「ところで日本、今日一緒に夕食でも食べないかい?」 「あ、……すみません。申し訳ないのですけど、先約がありまして……」 「そうかい、残念だなぁ」 俺はそういって踵を返した。日本を置いて早歩きで出口へ向かった。誰と約束しているんだい。聞きたかったのだけれど、その言葉は喉を通らないまま胸に溶けた。後に残ったのは、構内の苦々しい味だけだ。 |