彼が責めるように僕の名前を呼ぶのは、恐らく懐疑心からなどではなかったのだろう。彼は僕を憎んでいるのだ。一目会ったときから、彼はきっと僕を気にくわない野郎だと顔をしかめただろうし(日が差し込んだいたとはいえ、洞窟内は薄暗く、彼の顔はよく見えなかった)、次に会った時も、彼は僕を訝しげな目で見上げるばかりで、愛想の悪い返事を繰り返すだけだった。お互いの番号を登録しあっても、彼は一度だって電話を掛けてきたことはなかったし、僕からかけたこともなかった。彼は僕を怪しげな男だと眉をしかめて、僕は僕でただ彼を生意気な餓鬼だと笑った。それを彼は間違いなく嘲笑ととっただろう。実際間違いではないのだから、彼は非常に勘の良い子供だと言える。だがそれもまた僕は嘲笑した。彼の表情はいっそう険しい。
 彼の尊敬する大人とは、彼自身の父のような人物だと言う。あるとき見かけた、父と会話する彼の顔は僕の見たこともない幸せそうな顔で、僕は思わず吐いて捨てたくなった。それは、僕自身の父との関係の薄さにも寄るのだろうが、何よりも穢れを知らない無垢な子供であることが許せなかった。僕が彼を抱いたのは、決して嫌がらせなどではなく、古代の神々に立ち向かおうとする彼が、ひどく高潔で美しく見えたからなのだ。彼が何を考えていたかは知るよしもないが、細く小さな体がひどく神聖なものに思えた。穢してしまいたい思いもあったし、手にいれたい衝動にも駆られた。組み敷いた彼の体は思った通り細く頼りなく、僕はらしくもなく劣情に駆られたままで、彼は目を見開いたまま最後まで抵抗しなかった。僕は彼の考えてることはよくわからなかったけれど、彼から嫌悪感は感じなかった。彼は名前を呼ぶ度にあらん限りの力を腕に込め、僕にすがり付いた。この世に僕以外の救いが存在しないように。僕はそれがいっとうお気に入りで、そのときばかりは全身の愛を持って彼の名前を呼ばずにはいられなかった。
 子供ながらに彼の顔は美しい。鋭利な刃物を思わせる造形には、冷淡で鋭い感情がよく似合う。その後彼はそのままシャワー室に消えていった。僕はシャワー室に消えていった彼の顔を思い浮かべながらくすくす笑った。この流水音のなか、彼が声を噛み殺して後処理をしているのかと思うとほくそ笑まずにはいられない。程なく彼はシャワー室から出てきたが、そ知らぬ涼しげな顔をしていた。それも僕を喜ばせるものでしかないが、彼は穢らわしいものを見るように僕を睨み付ける。僕はそれを最上級の笑顔で受け止めながら、「お疲れ様」と声を掛けた。
「まるで他人事ですね」
「そっちの方がなにかと都合が良いかと思って」
「無責任ですよ」
「そんなことない。熟慮の上さ」
 彼は軽蔑の視線を僕に寄越した。僕は笑ってそれを受け止め、やっとベットから降りた。石鹸の香りが部屋を満たしていた。夜風に冷え始めた部屋の窓を閉め、僕は肺一杯にその空気を吸い込んだ。ぽたぽたと彼の髪から滴るしずくが不躾にフローリングを濡らした。
「バレたら困るのは君なんだからさ」
「僕を言い訳に使わないでください」
「まさか」
 頭に血が上ったらしい彼は、肩に引っ掛けてあったタオルを思いきり投げつけた。そんなものが痛いはずもなく、僕は頭に覆い被さったタオルを手繰る。
「大好きなお父さんに嫌われてしまうよ」
「あなたが殴り殺されるのが先ですよ」
「まぁ僕は元々センリさんには好かれていないしね」
 手に持ったタオルを改めて彼の頭に被せる。彼は憤りを感じているらしく、冷たい怒りをピジョンブラッドの瞳に一杯にしていた。
「まぁ殴り殺されても良いだろう。仕様のないことだよ。君だって清々するじゃないか」
「何がですか」
「だって君は僕のこと嫌いだろう」
 彼は豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思うと、苦虫を噛み潰したように苦々しく顔を歪めた。
「……あなたのそういうところは殺したくなるほど嫌いです」