視界が効く辺りを見回すと、なんだか懐かしいような気がする彼が立っていたので、僕は彼に手を振った。彼は、僕が声を出していないにも関わらず振り返り、初めから僕に気付いていたかのように笑った。
「なんだか、久しぶりだね。」 彼が変わらず笑うので、僕は思わず嬉しくなり、彼に近づいて同じように「久しぶりだね」と笑った。 「雰囲気が変わったね、びっくりした」 「君は変わらないね、安心したよ」 「そう」 「すぐに分かった」 彼は僕を見上げて、何かを見定めるように僕の目の中を覗き込んだ。見返す彼の虹彩は、イッシュを旅立つ前と変わらず澄んでいる。僕はまた懐かしいと思う気持ちを抑えきれなかったけれど、思い出せば彼の瞳を最後に覗き込んでから、そんなに時間も立っていない。彼はひょい、と身を引いて、「これでも背が伸びたんだよ」と残念そうに言った。 「本当に?」 「本当だよ。これでも成長期だから」 「でもまだ僕は君を見下ろしているよ」 「そこまでじゃないよ」 彼は今度こそ苦笑いを漏らす。こんな顔もするのか、と思った。 「年の差も考えてほしいな」 振り返ると、彼とこう話すのも初めてじゃないだろうか。二人きりになった観覧車の中で、彼は一切の感情を取り払ったような表情を突き通した。その場の緊張と言えば、彼の腰で一瞬揺れたモンスターボールを、彼がそっと撫でた程度だ。それでさえ、彼とはろくに会話もしていない。 ふ、と思いついたように彼は首を傾げる。 「年上だよね?」 僕は頷く。 「うん、そうだよ。それほど離れてもいないけど」 そうか、彼は僕のことを何も知りやしない。僕は、彼のポケモンから彼のことを知ったけれど、それも僕が勝手に知ったことだった。 「不思議だね」 思わず呟くと、彼はきょとん、と首を傾げる。それは、カラクサタウンで彼に話しかけた時に似ているような気がしたのに、あの時僕は彼じゃなく彼のポケモンばかりを気に掛けていて、ちゃんとそれを見ていなかった。 「僕は、君以外の人間を知らないようなものなのに、君は僕を何も知らない」 彼は少し考えてから、顔を伏せるように「何も知らないわけではないと思うけど」と呟いた。 「そうだね、君は僕の城を歩いたから。確かに、あそこには僕の全てがあった。……僕の部屋も見ただろう」 「どうして」 「ゼクロムが教えてくれたんだ」 彼はますます訳が分からないと、眉を顰める。 「二匹は元は一つのポケモンだから、分かるんだよ、お互いのことが。」 彼は目を丸くしながら、へぇ、と間の抜けた声を出す。 「レシラムは石のまま、君を見ていた。だから、分かるんだよ」 彼は感嘆して、ほー、と間抜けな声を出すが、すぐに苦々しそうに、顔を顰める。 「何か、それは、ずるくない?」 「ははは」 彼が小さな子供みたいにむくれるから、笑ってしまった。彼は心外そうに、非難がましい視線を送ってくる。僕はそれが余計に可笑しくて、笑いを止めようと息を止めたのに、失敗して少し咽た。じわり、眼の表面に微かに水分が膜を張る。彼と話している間は、人間らしい振る舞いが出来る。僕はそれに安堵をおぼえずにいられない。 「じゃあ、教えるよ。君の知りたいことは、出来るだけ」 彼は少し不服そうな顔のまま、僕を睨む。 「話そう。こうしてゆっくり二人きりになるのも、初めてじゃないか」 僕が笑いかけると、彼も少しは不服そうな顔を緩める。すこしだけ嬉しそうに笑ってくれた。 「でもいいよ。今は止めておこう」 僕は、眼を見開いた。彼は、僕の視界を塞ぐように、僕の帽子のツバに手を伸ばし、それを下げて僕の視界を隠した。真っ暗、いや、なんの光もない黒だった。 「――――っ、………」 言葉に出ずに喘ぐように口を開閉した。彼の雰囲気も声も穏やかで、まるで変わらないのに、世界だけが一瞬で反転したように色がない。彼の名前すら形に出来なかった。 「多分これは夢だから」 黒の世界の外が、音もなくひび割れる。 そういえば、視界の外は、不自然なほど白く、僕と彼以外は。 *** 真っ暗な空間で気付けば、僕は一人だ。肌を差す空気だけがリアルで、僕は深く息を吸った。直に日は昇るだろうが、今の僕にはそれが恐ろしく、出来るだけ体を丸めて、強く目を閉じた。この黒が守られているうちは、彼を近くに感じられた。いずれ白い世界へ弾き出されるまでは。 |
胎児の見た夢