流星群が来るとベルが嬉しそうに話したのを、トウヤはぼんやりと頭の隅に記憶していた。そしてそれが今日だと思い出し、空を見上げると、あるのは鬱々とした今にも泣き出しそうな一面の雲だ。トウヤは自分の吐息が雲に混ざったのを見送った。興味があったわけではないが、見られないとなるとそれはそれで残念だ。トウヤは帽子を目深にかぶりなおした。
「あ」
 胸に芽生えた思いつきに、トウヤは思わず声を挙げた。動きを止めた足で踵を返し、トウヤは自分の吐息が暗闇に溶け込んでいくのを見送った。
トウヤは幼馴染が「不謹慎だ」と自分を諌めるのを想像した。まるでそこに眼鏡の位置を直しながら呆れているチェレンがいるように目に浮かび、トウヤはそっと口端を引く。地上の寒さ一線をなして、少しだけ強い風がトウヤの肌を差す。たまに雲の残り滓がトウヤの髪をさらって行くが、帽子で抑えつけられた髪はほんの少し毛先を揺らすに収まった。微かに白く空を割いて昇る呼吸を見送りながら、寒さに凍える首を襟に埋める。寒い夜だ。
 トウヤの足元を厚い雲が流れていく。雲が地平線までも覆うタワーオブヘブンの頂上、トウヤはその縁に座り、形のない雨の固まりを足でかき混ぜる。ズボンの裾が湿るかとおもったが、拍子抜けで、ズボンの裾は寒さに覆われ冷えるばかりだ。トウヤはすこし足を振りかぶり、足は空気を蹴った。拍子抜けだとトウヤはもう一度足で雲をかき混ぜた。「危ないよぉ」ベルが怯えながら自分をたしなめる姿が、またありありと脳裏に浮かぶ。トウヤはついに、ふふと吐息にも似た笑いを漏らした。
 はぁ、と大きく息を吐くと、それだけ大きな、まるでトウヤの髪をさらっていく雲のような靄が空に昇る。しかし灯りの無い屋上で、トウヤの目にはそれがよく映らなかった。トウヤは遠く、遮るものが何もない満天を見上げた。ちかちかと光る星屑と、背後の大鐘楼が背負う三日月だけが光源だった。は、とトウヤは息を飲み込む。ひどく頼りなくぼんやりとした星屑がトウヤの頬をなぞる。曖昧になった輪郭で、トウヤは自分が消え入りそうな錯覚を覚えた。
「ああ」
 深夜も間近な時間、そろそろ流星群がやってくるころだ。
 トウヤは一番天国に近い場所で、空を仰ぐ。人の手が立ち入らないこの場所では、こんなにも星が輝いている。冷気が体に溶けていくのを感じながら、トウヤは立ち上がった。たとえ大粒の星が流れるのを見ることが叶わなくとも、これだけで十分な収穫だ。
 純粋な光の美しさに感嘆のため息を漏らしながら、トウヤは立ち上がる。星が落ちるのを見逃さないように、食い入るように目を凝らした。星屑を目に宿しながら、トウヤは瞬きも疎かにひたすら空を見上げた。
 おびただしい、雲の水平線までも埋め尽くす星の数に、トウヤは呼吸すら忘れ始めた。
 天国に一番近いこの場所は、大勢の友人たちの墓場だ。このうず高くあらゆるものの温度を奪う冷たい塔こそ、彼らに向けての墓標の様なものだ。イッシュ地方で一番高い塔を、天国の彼らが見ることができなければ、鐘楼の泣く声を彼らに届けなければ、一体ここはなんのためにあるのか、甚だ疑問である。
 ここは思いを届ける場所だ。
 だからこそ、こんなにもおびただしい数の星屑が、静かに、ただそこにあるだけで愛おしく光る。彼らが叫んでいるように思えて仕方なかった。
 トウヤの瞳の奥、トウヤを覆い尽くす星屑の光も届かないような場所が熱く、鈍い痛みを持つ。
 ここへ足を運ぶ誰もが、この星空に思いを届ける相手を探すだろう。そこから見えるかと叫ぶだろう。叫ぶ代わりにありったけの力を込めて鐘楼を打ち付けるだろう。
 幸か不幸か、トウヤの思いを届けたい相手はこの一面の星空のどこを探しても見当たらない。彼はきっと、この星空すら届かない、雲の水平線の先にいるのだ。
 この星空を遮る重々しい雨雲のように形の無い壁が、どうしてもトウヤから彼を阻んだ。
 彼はこの星空に気付くだろうか。この星空を覆ってしまうほどの思いの数に、トウヤは今気付いた。そして、その思いが本当に途方もないほど虚しく、遠いことに、トウヤは胸を焼かれる。トウヤ自身の願いや思いも、ただひたすらに、それこそ、この中から一つ星屑をすくいあげるかのように途方もないものだったからだ。
 トウヤはただひたすらに彼を待った。
 トウヤは自分が、彼の帰る場所に成り得るかすら分からない。なんの手段も持たず、ただ待つことしか出来ないのは、この星屑たちの様に空しく、寂しいものだ。
 陰鬱な胸にただ穴だけが押し広げられる。果たして広がるばかりの穴に彼が収まる日が来るだろうか。
 押し迫る思いに耐えかね、トウヤは振り返り、そっと冷たい大鐘楼に手を伸ばす。
 唇の形だけで彼の名前を呼んで、瞼の裏に蘇る彼は、星屑と同じように輪郭のぼやけた曖昧な存在だった。
 トウヤは力を込め、祈るように鐘楼を響かせる。弱々しい音色は、ただ悲しげでもあり、途方もなく澄んだ美しい音色を辺りにこだまさせる。
 トウヤの背後で星屑が音もなく瞬いたが、トウヤはそれに気付かなかった。





星たちの弔い