あの子はふとした瞬間に、泣きだしそうな表情をした。そして何事もなかったように、いつものように笑う。その振舞に無理を感じることはないが、その泣きだしそうな表情は自信家のルビー君には相応しくないもので、僕がその顔を忘れることはなかった。ナルシシズムの強い彼は、自分の弱さが露呈するのを嫌う。その弱さをひたむきに隠そうとしているのなら、それに言及するのも大人げないというものだ。
 彼が僕の家へよく訪れるようになってから、ソファを買った。僕はダイニングのテーブルで石を磨き、本を読む。ルビー君はそのソファでコンテスト用の衣装を縫う。特に会話はないが、ルビー君は僕が磨く石に何気なく「きれいですね」と笑いかける。僕はコレクションを褒められた嬉しさに、得意になって「そうだろう」と返事をする。石について簡単な説明や、磨き方を説明し、ルビー君は感心するように頷く。あまりそれらに熱が入りすぎると、ルビー君は困ったように笑った。
 僕がふと、思いつく様に顔を上げると、ルビー君は鮮やかな若草色の布地を縫い合わせ、ケープを仕立てていた。きれいだね、と僕がルビー君に話しかけると、得意げになって「そうでしょう」と笑った。「あなたが褒めてくれた衣装はね、必ずコンテストで成功するんです」と一言付け加えられ、彼の裁縫のスピードが上がった。僕はくすり、と笑って、手元の本にまた目を落とす。
 僕がうつら、うつら、と船を漕ぎ、浅い眠りに船を寄せると、ルビー君が肩に毛布を掛けた。手元の本を僕の手からそっと取って、しおりを挟み、テーブルの隅に添える。起きがけにそれを見つけた時には不覚にも、彼の優しさに言葉もなく浮き立ってしまったものだった。
 ルビー君が船を漕ぐことは珍しい。完全に眠りに落ちる前に彼は僕に一言断ってソファで寝てしまう。ルビー君がソファに凭れかかり、小さく寝息を立て始めることは、本当に珍しいことで、僕はどうしようかと、ほんの少し考え込んだ。そして僕は、彼を横に抱き、起こさないように寝室へと運ぶ。
 本当は毎日でも、僕のベッドで二人並んで寝てしまえばいいのに、律義なのか遠慮しているのか、ルビー君はそれを少し嫌がる。寝息を立てるルビー君をベッドに横たえた。その寝息に眠気を誘われて、僕はルビー君の横に並び、彼の寝顔を覗く。あどけなさの残る寝顔のルビー君をほんの少し抱きよせながら、僕はすぐに寝入ってしまった。


***


「……ダイゴさん」
 夢うつつのまどろみの中、ルビー君が囁く。起こすまいと、声はほんの些細なもので、僕もそれが夢なのか現実なのかはっきりしなかった。ぼんやりとした温かさが僕に寄り添っていた。
「……ダイゴさん」
 ルビー君が僕の名前を繰り返す。僕は返事をしなかった。
 ひゅ、と息の詰まる音が聞こえると、ルビー君は震える息をゆっくりと吐き出した。そして彼の小さな手を、僕の唇に寄せる。触れるか、触れないか、定かではないその距離を感じると、次に彼は僕の胸にそっと触れ、そして額を押し当てる。
 抱きかかえた肩がか細く震えている。まだ覚めきらない夢の中で、僕はその肩を抱く腕に力を込めた。
「ルビー君」
 部屋は、カーテンが月明かりを透かすだけの光しかなく、ルビー君の輪郭の影だけがぼんやりと見えた。けれど、彼がこの視覚の利かない暗がりで、か細く泣いていることだけは分かって、僕はぼんやりとした薄暗さからルビー君の涙を探した。
「……何でもありません」
 僕が何かを言うのを遮るように、震えたままの声でルビー君はそう言った。
「本当に、なんでもないんです、本当に」
 何にもなかったんです。
 ルビー君の噛みしめた歯の間から嗚咽が漏れた。僕は何も聞けず、閉じてしまった口を再び開けることはしなかった。ただ抱き寄せたルビー君の鼓動が震えと一緒に響くから、僕は腕の力を痛いぐらいの強くした。
 ルビー君は僕の鼓動を聞き洩らさぬように、胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で囁く。
「あんな思いはもう、まっぴらなんです」
 ルビー君の鼓動も震える肩も、いつしか穏やかな寝息に取って代わった。
 僕の耳に、二人の鼓動が混ざって聞こえた。僕が知らなくて、彼が知っている何かを、僕は薄暗がりに目を凝らしたけれど、ルビー君の涙すら暗闇に溶けていった。僕は自分の非力を紛らわすように、ルビー君の肩を強く抱いて、僕の夢も暗闇に溶けていく。










タイムトラベラーの夢