アテナは今時珍しい、紅い口紅の似合う女。光り物が好きで、それを粉々にするのがもっと好きな、真性のサディスティック。今時珍しい、高慢ちきで、かしましい女。
 ランスは極端な個人主義者。他人に興味がなくて、自分以外の存在は全て自分を楽しませる道具でしかない。だから物事が思い通りに進まないと癇癪を起こす。
 アポロは熱心な教信者。サカキさまを信奉している。自分のすべてはサカキさまのため。延いてはロケット団のため。それだけが生きがい。
 俺は、ラムダ。適当に決められたコードネームで呼ばれる、繰り上げ中堅幹部。幹部に選ばれた理由は不明。学もない、誇りもない。人間よりもドブネズミに親近感を覚える。
 肥え溜めみたいな場所で、糞のように生まれた。父親知らずで、母親は娼婦で、早くに家を出て、というか捨てられて、ふらふらと当てどもなく生きてた。名前はあったけれど、名前を呼んでくれる他人も、名前を名乗るような相手もいなかった。
 息をするように人を騙して、くしゃみをするみたいに悪事を働いた。悪事を働きたいわけではなかったけれど、それ以外に生き方を知らなかったし、悪事自体を悪いと思ったことがなかった。俺は字の読み書きができなかったから、金の稼ぎ方を他に知らなかったのもあって、物を盗んでその日を食い繋いだ。スリと置き引きと、空き巣はお手の物にしていたのは、そうしなければ飢えて死ぬしかなかったからだ。
 大物になりたいと思ったことはなかった。学もなく、誇りもなく、毎日ふらふらとしながら、その実その日の生に必死でしがみついて、公衆便所の、便器にこびりついた糞みたいな人間だった。ロケット団に入った理由も、何か野望があったわけでもなく、ロケット団になった方が幾分かは、死なずに済むと思ったからだ。世の中は道理だけでは回らない。肥え貯めで生まれ育った俺は、それを良く理解していた。一人で小さな悪事を働くよりかは、大勢で非道を働いた方が安全だった。
 俺は手先が器用なのと、プライドの無さを買われて、主に工作員の任務に就いていた。
 お前はミスターアンノウンだ。
 そう言って誰かが俺を指差した。酒場の暗がりで、アルコールで顔を真っ赤にした酔っ払い。当時の上司だったか、いや同僚だったかもしれない。あまり覚えていないのは、多分俺の記憶力の問題で、なんでそう言われたことだけ覚えているのかというと、理由は俺にも分からない。
 でもそれがいやに耳に残った俺は、任務を遂行するたびに、そう言って、誇らしげに自分に言い聞かせたものだ。
 俺はミスターアンノウン。
 アポロやアテナは、当時既に頭角を現し始め、大勢の部下を持ち、でかい任務にも就いていた。シルフカンパニー占領作戦の時も、二人はサカキさまの比較的近くで、部下の指揮を取った。三年前、シルフカンパニーを占領した団員たちは、ロケット団の中でも選り抜きの精鋭たちだった。
 俺はそこにいなかった。工作部隊の精鋭たちは、社員としてシルフカンパニーに潜り込んでいたらしいが、俺の仕事は、シルフカンパニー占領の下準備。
 俺はミスターアンノウン。
 まっとうな人間だろうが、悪役だろうが、プライドのない奴は大成しない。俺はそれも十分承知の上で、喜んで悪役の三下に成り下がる。俺はミスターアンノウン。プライドのある奴は早死にする。俺はガキの頃から生き汚い奴だった。
 俺は三年前の、シルフカンパニーで何が起こったのか知らない。
 ボスが失踪したこと、そしてたった一人の少年にロケット団が潰されたこと。それ以外はなにも知らなかった。
 烏合の衆、と誰かが話していた。そう、サカキ様をというボスをなくし、天下のロケット団は面白い程に一瞬で、その威光をなくしていった。次々にいなくなる団員や、手のひらを返したように繋がりを絶ったパトロン。機会を狙っていたかのように、敵意をむき出しにする傘下の弱小マフィア。
 俺がロケット団に居心地の良さを感じていた理由は、少なくとも、そこには同類が集まっていたからだ。
 家族の温かさだとか、仲間の大切さだとか、そんなあほらしい理由を掲げる奴はいない。居ないけれど、多分誰もがこっそりと、期待していた。世の中の、テレビで掲げられる道徳や、美徳にほんの少しでも、憧れていた。まっとうに生きることや、大義名分に真っ向から向き合うことは、無理だと理解していたけれど。
 本当は、誰ひとりだって孤独では生きていけない。
 どんなに大人でも、どんな悪人でも、誰かに触れたくて、誰かに名前を呼ばれたくて、俺はいつだって、その相手を探していた。俺はあの人に夢を預けて、でっかくなったつもりでいた。ロケット団を家族や仲間に見立てて、まともになったつもりでいた。
 つまり俺は、やっと見つけた人間らしい場所に、固執していた。
 だからロケット団の存続に躍起になった。のらり、くらりとその場をしのいでいた俺が、汗水たらして、ロケット団のために奔走した。
 子供っぽいって笑うだろ。でも俺は笑えなかったのさ。あぁおかしな話だ。
 大切なものはなくしてから気付くものだとか、安っぽい言葉だとは思ったけど、それの方が何倍もましだった。後悔だけで終われるなら、その方がずっと、格好の良いもんだ。
 本当は知っていたんだ。いくら学がなくったって、ずっと肌に感じていたことだから。
 死んだ人間が生き返らないみたいに、死んだポケモンが二度と動かないみたいに、壊れてしまったものは、二度と元には戻らないことぐらいは。
 本当は皆、理解していたのだろう。だけど、一筋の希望が捨てられなくて、未練ったらしく、サカキさま、サカキさまなんて、夢の残骸みたいなあの人の名前を呼んだ。
 名前を呼ばれる奴が羨ましかった。
 俺の名前は誰も知らない。なぜなら俺はミスターアンノウン。誰でもないから誰も知らない。安易なコードネームで呼ばれるどうしようもない繰り上げ中堅幹部。それでもその名前に価値を見つけようとして、喘いでもがいて、息も侭ならない情けない人間。
 だから、三年前のガキと同じ目したガキも、ボスの忘れ形見も見なかった振りをして、なにも分からないふりをした。
 アポロのように盲信もできず、アテネのような激情も持たず、ランスのように無頓着にもなれない。そんな俺はどうしようもない中途半端。
 誰かのふりをして誰かの役に立たなければいけないのに、そんな名前で呼ばれたって、何の中身も見つけられない。結局うまくならなかった変装も、結局は誰にもなれない証拠だったんだろう。
 そうさ、俺はミスターアンノウン。誰でもないし誰にもなれない。子供の夢の抜け殻のようだった。
 そう、俺はミスターアンノウン。
 誰にかになりたくて、誰にもなれなかった残り滓。誰にも知られず暗がりに縋り付くだけのどうしようもない役立たず。
 俺はミスターアンノウン。どこにも行けずどこにもいない。ここに立っているのは誰でもない、誰にもなれないノーネーム。このままどこかに消えて、誰にも知られず、魚の餌にでもなるのが良かった。でもそんなことはできない。俺は生きることに執着する、臆病な凡人だから。
 俺はミスターアンノウン。俺は、その名前に命を宿したかった。意味のある名前で呼ばれたかった。

 俺はミスターアンノウン。何処かで生きて、何処かで死に行く。

 俺はミスターアンノウン。

 俺は、










ミスターアンノウン