僕の世界は256bitと13の原色で構成されたモノクロームの平面体だった。
 世界は僕のものだった。世界は自分のためにあるのだとどこかで確信があった。ポケモンも、人も、靴の下でひしゃげた雑草も、全て僕のものだった。世界は僕のためにつくられ、生まれ、そして動いている。
 モノクロームの中僕だけが赤く色づき世界を旅する。日が昇るのは自分が行動するためで、日が落ちるのは僕が寝るためなのだと思っていた。
 確固たる確信と自信があった。僕は最強だった。誰にも負けない、誰も僕には勝てない。全ての人やものは僕の為に用意されたものだった。世界のすべては僕に出会うためにある。
 でもたった一人だけ、僕の名前を不躾に呼ぶ奴がいて、僕はそいつにむかっ腹が立って堪らなかった。やかましいそいつはいつだって僕を先回りしていて、僕はそれも腹がって仕方無かった。僕の為に用意されたもののくせに。そういう考えが、僕の腹を焼いて余計にそいつを認めたくなかった。だからそいつが僕に負ける度、一瞬泣きそうに顔を歪ませる瞬間が、僕は何よりも好きだった。
 僕がポケモンリーグの天辺でそいつを負かした時、そいつはやっぱり一瞬泣きそうに顔を歪ませて、違ったことと言えば恒例の負け惜しみがなかったことだった。惨めに泣くのを我慢しながら、僕を突き飛ばして何処かに走り去る彼を見送り、ざまぁ見ろと僕はほくそ笑んだ。
 それからの僕はどこに行くにも自由だった。何もしなくてもよかったし、何をするのも勝手気ままだった。けれどそれもその内飽きて、僕は夢を見て過ごすことが大半になっていった。瞼の裏の真っ暗な世界で僕は眠りにつく。瞼の外は僕が目を覚ます瞬間を今か今かと待っていた。けれど退屈だけが置き去りにされた世界に僕はもう飽き飽きとしていて、いつしか瞼の裏の暗闇だけが僕の世界になって行った。
 は、と気付くと、僕は途方もなく孤独だった。けれど、その四角の中に収まりきらない世界で、僕が立っているところはその世界の中心だと、やはり僕は確信していたので、僕は孤独も平気だった。
 僕はただここに立っていて、そのうち誰かを待っているような、そんな気になった。何かが思い出せそうな気がして、でも何も思い出せずにいた。うん、うん、と唸っても、答えは一向に見つからない。あぁ、なんだっけか。ずっと誰かを待っている気がするのだけれど。しかし僕がすべきことだけは、はっきりと分かっていて、僕はここから動けなかった。やはり、顔も名前も知らない誰かを待つだけだ。多分それが答えで、それが僕のすべきことだった。そうか、じゃあ、そうしよう。と僕はそこで来るかもわからない誰かを待つことにした。
 ここは何処だろう。視界がチカチカして、目は殆ど使い物にならない。ここは何処だろう。光も届かないような洞窟の奥、それとも雪にまみれた吹雪の中。雪と暗闇の中ではその世界に色が灯っているのかも判断できなかった。
 そのうち家に帰りたくなった。あの町へ帰りたい。懐かしい僕の町、まっさらで何もない、退屈な僕が生まれた町。もう随分長い間帰っていない。
 そのうち孤独も苦しくなった。誰かの名前を呼ぼうとしたけれど、僕は誰の名前も知らなかった。
 僕は傲慢だっただろうか。この世界で、この世界が僕だけのものであると胡坐をかいていたことは、傲慢だったのだろうか。僕は今まで誰も省みなかった。誰も認識してこなかった。誰も知ろうとはしなかった。それは彼らが意思を持たないただの、僕の為用意された人形だと僕は知っていったからだ。僕は今まで彼らを歯牙にも掛けなかった。それで平気だった。なぜなら世界は僕のためにあって、世界は僕のものでほかならかったからだ。
 それがどうだろう、今は途方もなく孤独だ。
 君も孤独だったのだろうか。こんな風に、誰にも見向きもされず、ただ孤独な狭い部屋で僕を待ち受けていた君は、孤独だったのだろうか。誰かに会いたくて、誰かと関わりたくて、でも僕の居場所はここにしかなかったから、僕はここから動くわけにはいかなかった。
 は、とそれが途方もなく恐ろしいものだと思えて、僕は息を潜めた。退屈よりも、孤独よりも恐ろしい感情が僕の胸に喰いついた。
 僕が、そいつの名前すら思い出せなくなっているように、僕も、忘れらてしまっただろうか。世界から、置いていかれてしまっただろうか。
 あの時見送った背中を、追いかけておけばよかった。今度は僕があいつの先回りをして、泣きそうに一瞬歪む顔を、もっと良く見ておけばよかった。
 目の前に広がる底ない暗闇に目が眩みそうになる。僕はもう夢から覚めたはずだったのに、どうしてかまだ覚めない悪夢の中でただ君以外を待っている。僕は君にひどいことをし続けて、もう君は僕を追いかけることを止めてしまった。本当はずっと悔しかったのだ。誰も知らないはずの僕の世界を、見知ってしまう君が羨ましかった。世界に溶け込む君が羨ましかった。
 誰だったか。僕の為の世界、僕だけの世界、あの世界で君だけは不躾に何度も何度も僕の名前を呼んだのだ。もう一度、僕の名前を呼んでほしい。不躾に、やたらとうぬぼれた口ぶりで僕の名前を。そしたら今度こそ、僕は君の名前を呼び返すのだ。



 少年は、僕をレッドと呼んだ。懐かしいような、聞きなれないような不思議な感覚だ。誰の名前だろう、誰と勘違いして居るのか。僕の名前は、そんなものだったけ。
 は、と気付いて、僕は息を失った。
 僕の名前は。僕の名前はなんだっけ、もういつからか思い出せなくなってしまった。僕は誰だったけ、確か、君に呼ばれた名前があったはずなのに。
 目の前に立つ少年が恐ろしかった。白と黒のモノクロの薄暗い世界で、少年の金色の瞳だけが光を灯していた。
 世界はこの少年のためにあった。
 いつからだろう、思い出せない。いつから世界は僕のものじゃなくなったのだろう。気付いた時には、この場所に立っていた。もう、その時には世界はこの少年のためにあったのだろうか。僕は、この少年を待ち受けるためだけの存在になったのだろうか。
「・・・・ ・・・・」
 僕は叫んだはずだった。ただ深いだけの切り立った暗闇と横弄りの吹雪に声はかき消された。あるいは、僕の喉は音を忘れてしまった。だというのに、金色の目をした少年の声だけは、暗闇も吹雪もそっち退けでまっすぐに僕に届くから、僕は泣きだしたくなって顔をくしゃりと歪めた。
 僕はレッドじゃない。僕には僕の名前があった。彼に呼ばれた名前があったはずなのだ。僕の、僕の名前が。僕だけの世界が僕にはあったはずなのに。僕だけの、彼の名前があったはずなのに。


 グリーン、僕は、今とても君に会いたい。










コードロスト#ff0000   
カラーレッド