チャンピオンとなり、無為に広い部屋で寝泊まりするようになった。倉庫と変わりないポケモンセンターの簡易宿舎や野宿とは比べ物にならない寝心地の良さだ。チャンピオンになって知ったことは、チャンピオンだからといって特に行動が制限されるわけではないこと。挑戦者が来ない限りは全くの自由、挑戦者が来たときは受付から連絡される時間までにチャンピオン室で待機していれさえすればいい。それだけをしっかりと心得ていれば、どこへ行こうとも、何をしようとも誰からの文句も出ない。第一、僕の元へ挑戦者が辿りつくことすら、稀だった。言ってしまえば一度もない。どんな挑戦者も、ワタルを目の前にして破れてしまう。階下で繰り広げられるバトルを僕はモニター越しに注視して、手の届かない興奮にやきもきしながら、退屈を募らせるだけだった。
 一応にもチャンピオンを目指し旅していた頃、僕は好きな時間に起きて、寝て、食べて、バトルして過ごしていた。チャンピオンになった今、それは少しも変わらない。それでも今の生活がとても窮屈に感じられた。何故僕は、チャンピオンになりたかったのだろう。今はもうその理由も退屈に沈められた。
 誰もが僕に無関心のようだった。しかし無関心なのは僕も同じだ。僕にとってはセキエイリーグは退屈の代名詞の様なものになってしまった。挑戦者は四天王を倒して僕の元へ辿りついてこないし、出先で一戦を交えるトレーナーたちでは物足りない。
 僕は退屈に溺れていた。喉元までどっぷりと浸かって、長い間あっぷあっぷと侭ならない呼吸を繰り返してる。もっとギリギリのバトルがしたい。握り拳に汗がにじむような、一瞬の判断が空気を切り裂くような。グリーンはチャンピオン戦を終えて以来、もう僕には会いたくないとでも言うように、徹底的に僕の前に姿を現さなかった。それに取って代わるように、今度はワタルが僕に勝負を仕掛けてきた。始めの修行には僕から誘ったのだが、それを皮切りに、ワタルは毎日のように僕に修業を持ちかけた。
 どうして僕にこだわるのだろう、と僕はいつも不思議だった。ワタルはいつも僕に関わろうとしてきた。目覚まし時計の代わりに僕の部屋を訪れ、呆れた顔で食事を置いて何処かに消える。昼を過ぎたころに僕の前に現れ、修業に誘う。それの繰り返しがもう、何日も続いていた。僕を気に入ってるわけではないと顔に書いているのに、どうしてかいつだって僕を気に掛けていた。朝食だって、わざわざワタルが持って来なくとも、僕がリーグ職員のために設けられている食堂に足を向ければいいことだ。それを僕が面倒がったって、僕が朝食を食べ損ねるだけだ。ワタルは、それが許せないのだと言う。過保護だ。と僕は言う。怠惰だ、とワタルは言う。
 思い出せばグリーンだって、ちょっかいは沢山し掛けて来たけれど、それを上回って僕の世話を焼きたがった。しかしそれも、ワタルほどではない。それにこんな嫌そうな顔をされては、僕だって息が詰まる。嫌というか、不満そうな、不服そうな、魚の骨が喉に刺さっているような、そんなすっきりしない表情で。
 ワタルは僕が許せないのだと言う。何が許せないのかと言えば、怠惰な習慣、覇気のない顔、快活とは程遠い子供らしからぬ無関心無頓着無感情。そういうものだ、とワタルは苦々しそうに言った。僕が嫌いなのかと聞くと、その倍は苦々しい顔で「そういうわけじゃない」と答えた。
 じゃあ、どういうわけなのだろう。


 風を切り裂きながら飛ぶカイリューの背は、痛いぐらいに強い風が吹く。余りに風が強いので呼吸も侭ならなかった。帽子が吹き飛ばされそうになるのを、ぎゅっと押さえつける。ワタルと一緒に乗り込んだそこは当然のごとく狭く、「落ちるぞ」と忠告されたそれも、おどけていった言葉ではないのだろう。はるか足下に広がる地上をそっと覗きこんで、僕はワタルの小脇に大人しく収まっている。
「急ごう。挑戦者が痺れを切らしているぞ」
 ワタルがそう言うと、それに応えるようにカイリューがぐん、と一段と羽を羽ばたかせた。風の音が耳を塞いで、カイリューの羽ばたき以外は聞こえない。ワタルは涼しい顔をしているが、マントも強すぎる風に張りつめた帆のように硬くなってしまっている。景色を一段と追い越して、気を抜けば本当に後ろに吹き飛ばされてしまうかもしれない。
 風に巻き込まれ、地面に叩きつけられるのを想像し、僕はばさばさとはためくワタルのマントを強引に引っ張った。中々うまく手繰り寄せられないのを見かねたワタルの腕が、マントを器用に手繰り寄せては僕をすっぽり覆った。僕は、ワタルにありがとうと、お礼を言ったのだが、それも風に切り刻まれてワタルには届いていなさそうだ。
 ワタルは過保護なのだ。今もそうだけれど、何も迎えに来る必要はなんかない。僕にはリザードンがいるから、いつだってセキエイに飛んで帰れる。それもその気になれば、ワタルのカイリューよりずっと早く。
 セキエイが見えて来たかと思うと、カイリューのスピードもやっとゆっくりになった。僕はそれにやっと一息吐いて、マントから這い出す。
「わざわざ迎えに来なくたって、ちゃんと戻るのに」
 不満を口にすれば、ワタルは憮然とした顔で答えた。
「……君は子供だからな」
 子供だから、なんだっていうんだろう。苛立ちが隠し切れず、僕はワタルから顔を背けて、その小脇から抜け出そうとした。しかし、それをワタルの腕が阻止する。
「だから、落ちるぞ。迂闊に離れるんじゃない」
 腰のベルトを掴み、ワタルはがっしりと僕の腰を抱き寄せた。過保護だ。僕は苛立ちを胸につっかえさせながら、また思った。
 ほとんどワタルに抱きかかえられながら、僕は口を尖らせる。ワタルは呆れて、溜息を洩らすのを隠そうともしなかった。
「君が、自由過ぎるのがいけないんだ」
「挑戦者が来てるとき以外は、自由だって」
「そんなものは建前さ。本当は、どんな時も挑戦者を待ち受けているべきだと本部の人間は考えているんだ。せっかくのリーグも、中が蛻の殻じゃ、示しがつかないだろう」
 いったい誰に、何を示すために、あの堆いリーグはあるのだろうか。僕は遠くに見える、もうすぐそこに迫るセキエイを見据えた。横から差す夕日に帽子のつばを目深に下ろす。
「そんなの、大人の勝手だよ」
 ワタルはすこしの間だけ沈黙し、すぐに「君だって、勝手さ」と答えた。僕もすこし黙った後、「そうだね」と返事をした。
 カイリューがまた一際大きく羽ばたくと、もぬけの殻の摩天楼は、僕らに覆いかぶさるように眼前に迫る。カイリューはゆっくりと旋回しながらリーグの真ん前に降り立ち、モンスターボールの中に消えた。ワタルは鈍い色をしたマントを翻し、ボールを腰に引っ掛けた。僕はリーグに向かって歩き、ワタルは僕の斜め後ろに続く。もうずっと向こうの夜空を背景に、ずんぐりと聳え立つセキエイリーグ。
「早く行くんだ。君の為の、玉座だろう」
 挑戦者だった頃最強の象徴に思えた高い塔は、今はうず高い墓標にすら見える。
「レッド、君じゃなきゃ、意味がないんだ」
 まるで、自分に言い聞かせているみたいだと思った。










大人子供の好き勝手