血の匂いは、とれないのだと知った。
人の肉は意外に堅くて、たまにしか見なかった漫画やアニメのように、すっぱりとは斬れなかった。子供の精一杯の力で、その堅いものにやっと刃を突き立てたあの時の感触を、スザクが忘れることは許されないだろう。
血の匂いが、色が、体温の温かさのそれが、スザクの体に纏わりついて離れない。

いろんなものが焼ける匂い。
家も、地面も木や草も、もちろん人も。鉄の香りがつん、と鼻をついて(もちろんそれは鉄の匂いなんかじゃなくて)。
家だったもの、木だったもの、―――生き物だったもの。色々なものが過去系になって、一面に転がっていた。木だって、とてもじゃないけど、スザクに折ることができるのは枝までだった。壊すことなんて出来るはずがないとたかをくくっていた。今は、家は瓦礫になって、木は真っ二つに、或いはただの、焦げ墨に。絶対に壊れないものだと信じていたものは、ただの思い違いだった。家は自分の帰り得る場所で、木は遊ぶのにも涼むにも最適な場所で、なくなっては困る。困るじゃないか。
目をつぶって、心のうちで三秒、数えてから目を開けた。景色は前と変わらず、荒廃した町が――――いや瓦礫と、過去系の集団がただ転がっているだけだった。
夢なら醒めろ。醒めないと、醒めないと僕は。俺は。
そんな祈りにも似た思いで、あれはちがう、違うんだと自分にいい聞かせながら、目に入ってくる『あれ』に見えない振りをし続けた。
その『あれ』が何のことなのか、スザク自身分かりかねていたが、それを否定しなくては、という不可解な強迫観念がスザクを追い詰めていた。なにか黒いものがスザクを後ろから、前から、横から、上から下から、四方八方スザクに触れる全てからスザクを飲み込もうと息を潜めているような気がした。
「どうしたんだ、スザク」
心配そうなルルーシュの声のおかげで、やっとスザクは自分が立ち止まっていたことに気付いた。ナナリーも心配そうに首をかしげて、形のいい眉が八の字になっている。
「――――何でもない……」
何でもないはずがない。けれど弱音が溢れるのを、ルルーシュの鋭い視線が許さなかった。ナナリーに知らせるな、と紫の宝石が殺気を孕む。スザクにはいっそ脅しに思えた。
ルルーシュは弱者だ。
守られるべき存在だ。力もない、助けてくれる存在もいない。
あるもの全てを疑わなければ生きていけないほどルルーシュは無力な生き物のはずだ。口ばかり達者で、頭ばっかり良くて、暴力で迫られればただ傷付けられるばかりの弱い、弱い存在の筈だった。守られなければ生きていけない筈の存在はずなのに。
数歩離れた先で、ナナリーを背負い歩くその姿は、強者だ。
弱音のひとつも溢さず(或いはナナリーの手前、虚勢張っているだけかもしれないが)、毅然とした態度は、完全に強者だった。スザクが守ることができるような、小さな存在じゃなかった。
今の彼を前にして、スザクは自分を強者だとは思えなかった。いいや弱者でもなく、世界で一番、猥小で卑屈で、情けない生き物だと思えた。
また歩みが止まっていたことに気付いて、スザクは歩き出した。ナナリーを背負うルルーシュはもうかなり先を歩いていた。
岩のように重い足には気付かない振りをして、いろんな死骸から目をそらして。



浅ましくて卑しくて、弱い自分を殺したくなった。
こぼれ落ちた雀の涙を、誰も認めようとはしなくて。