「ランペルージ」
 新任の教師は、廊下ですれ違った素行の悪い生徒に呼びかけた。
 足早に歩いていた男子生徒は、名前を聞いたとたんぴたりと止まった。そして一拍おいてその新任教師を振り返った。まさに花が咲くかのような笑みを整った顔に貼り付けて。
「なんですか先生」
 ルルーシュ・ランペルージはその新任教師の目には大変な美人に見えていた。
 これは彼に抱く感情とは別にしても、変わらない事実だった。いや、これでは私が彼に恋心でも抱いているようじゃないか。断じて違う、私は彼に恋心など感じてはいない。  考えてみろ。彼は確かに誰の目を通してみても紛れもない美人だったが、それと同じぐらい周知の事実で性別は男だ。  男に恋心など、それもいい年した男が一回りも年齢の低い少年に恋心だと、それこそ犯罪だ。  だからといって私はそういう趣味を持つものに偏見や嫌悪を持っているわけでなく、まあそういう人たちだっているんだろうなぁというだけで、決して自分がそういう性癖を持っているわけではなく、ああ何言い訳じみたことをしているんだろう私は。
 新任教師は愛を持ってルルーシュ・ランペルージに接していた。これは彼にだけでなく、アッシュフォード学園すべての生徒に対してだった。
「今までどこへ行ってたんだ?」
「ええ、ちょっと気分が悪くて保健室に・・・」
「ランペルージ」
 常より若干声を低くすると、少年は観念したように声を上げた。
「いいじゃないですか、単位は足りてるし、成績だって問題ないはずでしょう?」
「それとこれとは別の問題だ」
 新任教師のビクトルはブラックリベリオン後に赴任してきた教師の中で、特に熱心な教師で評判だった。生徒内の評判も良く、理解のある頼れる教師として大抵の生徒から好かれていた。
「学生でいられる期間は短いんだ。ランペルージはもっと有意義にモラトリアムを過ごすべきだと私は思うな。」
「十分すぎるほど有意義ですよ。お祭り好きの会長のおかげでね」
「そんな受動的でどうする。もっと能動的になりなさい。君にはその才能がある」
 その言葉を聞いた少年は勘弁してくれと宙を仰いだ。遠巻きにこのやり取りを見ている生徒は、いいぞ先生!その粋だーとビクトルにエールを送るものもいれば、災難だなふくかいちょーと冷やかすものもいた。  熱血教師と呼べるビクトルとある意味不良少年なランペルージのやりとりは、ここ最近のアッシュフォード学園ではそれなりに恒例化されていた。
 ビクトルはこの恒例化されているやりとりを楽しんでいた。ランペルージだってそれほどこのやり取りを嫌っているわけではないだろう。彼が本気でこれを避けようと思えば、このやりとりが行われるのは最初の一回きりだったはずだ。  ランペルージは賢い。  勉強ができることとはまた違う―――――――それでもランペルージが本気を出したならすぐにこの学園のトップに躍り出るであろう事は明白だった―――――――が、ランペルージの秘めたる能力をビクトルは理解していた。
 そしてもうひとつ、ビクトルはルルーシュ・ランペルージの本質を理解していた。この子はとても優しい子だと。特に自分の懐に入れた人物に対しては。  ビクトルは、ランペルージの懐に入っている人間を見極めていた。まずは生徒会の人間。そして弟のロロ・ランペルージだ。この生徒たちを、ランペルージは非常に大切にしている。  それをビクトルは理解していた。そして自分はその中に決して入らないことも理解していた。ビクトルは教師として接するのとは別に、監視対象としてランペルージに臨んでいた。  それにビクトルが感じている後ろめたさを、賢いランペルージはどこか察知している。だからランペルージはビクトルを真正面から見ることはない。あくまでビクトルは他人だ。
 ビクトルは苦笑して、ランペルージの頭に手を置いた。
「とにかく、次からは真面目に授業に取り組みなさい。他の生徒の模範としてね」
「はいはい、分かりましたよ先生」
 やっと解放されたとランペルージは来たときと同じように足早に去っていった。ビクトルはその背中を見送ってから、踵を返した。そしてびくりと体を揺らす。
「や、やあ、ランペルージ。」
「・・・こんにちは」
 いつの間にかビクトルの真後ろに立っていたロロ・ランペルージに驚いたからだ。  ロロは表情のない能面のような顔でじっとビクトルを見つめていた。まるで人形のようなこの少年を、ビクトルは苦手としていた。  いつの間にか周囲から学生の喧騒はなくなっていた。そろそろ休憩が終わるのだろう。
「も、もうすぐチャイムがなるだろうから、授業に遅れないようにな」
「・・・はい、先生」
 ビクトルは逃げるようにしてその場から去った。背中にはじっとりとロロの視線を感じた。機密情報局の暗殺者、ロロから。

 ビクトルはこの任務が終われば、この職を手放そうと思っていた。皇帝陛下からの任務を誇りに思っていたが、それよりも教師として生きるほうが自分には向いているとビクトルはここ数ヶ月で痛感した。  人に未来を与える仕事だ。なんてすばらしいことだ。今のように、あのやさしい少年を四六時中観察し、籠の鳥にしているよりもずっと素晴らしい使命だ。
 そしてビクトルは賢く優しいルルーシュ・ランペルージを気に入っていた。だからこそあのランペルージがこのエリア11を震撼させたテロリストのゼロと思えなかった。きっと何かの間違いだとビクトルは信じたかった。  そしてロロも、本当は心優しい少年なのだとビクトルは思っていた。ランペルージと過ごすロロはどう見てもただの少年だ。ロロ自身もランペルージを好いているのだろう。彼らは兄弟なのだから、それが仮初のものだとしても。  だからこそ、ビクトルはロロへの苦手意識をなくそうと、できる限りロロとスキンシップを図ろうと思っていた。彼等は優しい子だ。優しい人は、幸せに生きる権利がある。今まで強欲に、生きてきた自分をビクトルは恥じる。  だからこそ、二人の幸せの手伝いがしたかった。
 この任務を遂行して、軍を退職し、正式な教職免許をとるのだ。そして出来るのなら彼等を自分の家族にしよう。自分は家族になれなくとも、せめてあの優しい兄弟だけは、どうか幸福に満ち溢れていてほしい。


 ビクトルは、機情の本拠地にあるソファで兄からもらったロケットを開いては閉じ、閉じては開いて弄っているロロに近寄った。
「それがランペルージからもらった誕生日プレゼントかい」
 そしてビクトルはそのロケットに手を伸ばした。





猛獣の飼育員