暗黒時代だった学生の頃から私に女性との関係は一切なく、まして機械工学なんて男の園だ。むさっ苦しい瓶底メガネが顔を付き合わせて、自分の膝ぐらいしかない鉄の塊の関節の強度がどうの、機動性がどうのと何時間も議論し続ける。とりあえず向こうの目標は数ヶ月後のロボコンだ。こんな鉄屑の塊に四苦八苦しているようじゃ、メイドロボなんて夢のまた夢なんだろう。なんて、ロボットのプログラムを睨み続けて疲れた目を揉みほぐした。ロボコンに出るにも、プログラムばっかり出来上がって、肝心のロボットが未完成では意味がない。重要なプログラムを任せてもらえるのは誇らしいけれど、同時に死ぬほど面倒くさい。現にロボットの回路図や設計図に四苦八苦しているゼミの仲間との間に、妙な疎外感を感じる。プログラミングに没頭していると、何だか溝がもっと大きくなった気がする。素晴らしく虚しい気持ちになるが、帰るにも自分のノルマが終わっていない。このプログラムで出来上がるのが、メイドロボだったなら話は別なのに。溜め息吐いてプログラムが出来上がるわけでもないので、肩をとんとんと叩いて、意気込み新たにパソコンに向かう。判断は正しく
、その後のプログラミングは割と効率的に進み、今日中のノルマはすぐに終わった。そうしてロボットの組立てるのに躍起になっている仲間に声をかけると「いや、これは俺の仕事だ。手を出さないでくれ」と振り返ってさえ貰えなかった。自分でもこうするか、とみんなの集中を削がないように静かに研究室を出た。夕食の時間を少しすぎたような時間で、空もずっと遠くでは仄かに光が差している。自分の手際の良さを褒めちぎってやりたくなった。深夜のロボットアニメは予定通りにリアルタイムで見れるようだった。いつもは耳障りに感じる女性のきゃっきゃっと甲高い声も今ならば許せる。でも四五人の女性に囲まれてきゃあきゃあ騒がれている背の高い金髪は死ねばいいと思う。背が高いと言ってもこちらの背が低いだけで、多少背が高いように見えるだけだろうが、遠目で見たところ日本人には思えない。あの輝く金髪はきっと本物なのだろう。まだ肌寒い季節でも曝されている両肩はスポーツマンの証拠だ。きっとあの赤いタンクトップでコートを駆け回りバスケットでハットトリックを決めていたに違いない。今も昔もスポーツと縁遠い私には未知の領域だった。
予定通り見れた深夜のロボットアニメは、私に今以上の情熱を注いでくれた。メイドロボは後任しなければならなかったとしても、モビルスーツはきっとこの目で見届けるのだ。火が着いた情熱のおかげで研究の進み具合も右肩上がりだ。あのロボットの仕上がりは、仲間の情熱と掛け合ってより人間に近い動きをしてくれるに違いない。期待に胸が躍る。こんな気持ちで食べる食事はいつもの数倍は美味しい。最近疎遠になっていた学生食堂も、これを機に贔屓にしてみようか。こんなに美味しい味噌汁が飲めるなら毎日だって通ってみせる。こんな幸せな日が他にあるだろうか。 「Hi!」 思わず微笑んでしまいそうになるのを流暢な英語が遮る。びっくりして顔を上げると、満面の笑みの外国人青年がトレイを片手に立っている。ぎょっとして目を見開くと、金髪の青年は断りもなく正面の席に座った。好奇心に満ちた目は青々と煌めいて、三日月のように引かれた唇はダムが決壊したかと思うほどの言葉をひねり出した。受験英語しかしらない私には一言だって聞き取れない。彼が特別早口なのか、それとも私のリスニング力が壊滅的なのかは知らないが、彼の話している言葉が地球上に存在している言語だとはよもや信じられない。彼は私が如何に困惑しているか気付いてないみたいで、怒号のように押し寄せる言葉は留まるところを知らない。私は必死に涙目になるのを堪えて、必死に笑って見せ、すると彼はまた上機嫌に話し出す。それだけでも聞き取れないのに彼は合間合間に昼食を食べ始め、しかもそのまま話し出すから英語とも認識出来なくなった。彼の言ってることは理解できないし、その上声がとても大きいんだから、徐々に人の視線を集め始める。私もそろそろ愛想が保てなくなり、愛想笑いから薄笑いに変化しつつある。手の中にある味噌汁だけが心の支え のようにすら感じた。一種の諦観を私が抱くと青年は青い目を一段と煌めかせて、「〜〜〜〜」と言ったが、私が聞き取れないと気付くと嘆かしそうに「おぉう……」と意気消沈したようだ。こっちからしてみれば何が「おぉう……」だと拳を振るいたくなる。彼は何かを決心したようで、さっきの満面の笑顔を取り消して、「っちゅあ――いむ」だかなんだか恐らく名前を尋ねているのだろうと思われる言葉を二回ほど繰り返した。私は受験からはできるだけ距離を置いていた英語の記憶をひねり出して「ま、まいねーみいずほんだきく」と片言もいいとこ、小学生だってもうちょとましな英語を喋るだろうという返事を返した。しかし彼はそう思わなかったようで「エクセレント!クール!」と私の手を握ってぶんぶん振り回す。「きく!きく!」と私の名前を嬉しそうに話す様子は子供のようで微笑ましくあったが、腕が痛い。ははは、となんとか愛想笑いを持ちこたえている私に彼は何かを察したのか腕の動きを止める。 「きく、アイシテル、スキ」 その時の私の衝撃といったら、それはもう雷に撃たれたほうがまだましだっただろうと私は自信を持って言えた。私の平穏で充実したキャンパスライフは彼のおかげで木っ端微塵だ。 「菊、スキだよ。アイシテル、ふためぼれなんだ!」 「アルフレッドさん、それ多分一目惚れだと思います」 「ひとめぼれなんだ!」 「あなたのそれは気の迷いです」 「菊、アイシテル、結婚しよう!あのとき菊もオレのことミテタジャナイカ!」 「それは女性囲まれていたのが不快だっただけです」 「知ってるぞ!シットだろう?」 「違うと言ってるじゃないですか!」 |