これでも昔は酷い不良だった。色々な要因でかなりスレていたのもあって、暴れん坊将軍みたいな、現代では名誉なのか不名誉なのか分からない通り名を貰ったこともあった。今でも表情は乏しいが、その頃はもっと、最早表情筋なんて存在しないとでもいうような無表情だった。今よりずっと酷い目つきをして、世の中にいる人間全て敵だと、そういう風に思っていた。今思えば、思春期にありがちな被害妄想だったが、当時の自分には、重い事実だった。家族とも不仲で、家に帰ってもほとんど接触しなかった。複雑な家庭環境。言ってしまえばそれでお終いだが、本人にしてみればそれでは片付けられないあれやそれやがあるのである。とはいえ、私は別に悩みというほど悩んでなどはいなかった。ただひたすらに義理の家族の存在を拒否していた。そんなものは居ないように振舞った。視界に入れなくなかった。義理の弟や妹たちには悪いことをしたと思っている。彼らの寂しそうな顔や憤りを隠しきれない地団駄は、今思い返しても胸が痛む。何も感じなかった、一種の嫌悪感すら抱いていた当時の自分に気合の一発を入れたいぐらいだ。きっと自己防衛だった。そうして、自分以外を排除することで自分を正当化していたのだ。自分より遅く生まれた、しかも兄と呼ぶ義理などない自分を兄と呼び慕ってくれた彼らに、随分な態度だ。彼らはただ私の嫌悪の余波を食らっていただけなのだ。私が本当に嫌悪して、嫌って、嫌で、存在を認めたくなかったのは、私の義理の兄と、そして彼の父親だ。王家というのは、長い間裏社会を牛耳る薄暗い家系で、浅知恵をつけ始めた私は、それに気付き始めた。それに気付き始めた途端、耀さんが家長となった。義父がどうなったのか今でも私は知らないし、正直知りたくもない。きっとドス黒いやり取りがあったのだろう。耀さんに敵が多いばかりに、私も喧嘩を売られることが多く、しかし幼い頃から武道に携わっていた私が負かされることは一度もなかった。数人に囲まれたところで、服に汚れ一つ付けず、何事もなかったような時間で家に帰ることが出来た。しかしあるとき、不良の返り血、いや、そんなたいしたものじゃない。たまたま鼻血が出た拍子に、制服に滲んでしまったことに気付かずに家に帰ることがあった。黒地の布であるにも関わらず、耀さんは目敏くそれを見つけ、烈火の如く怒り狂った。それは私への心配だったのだろうけど、怒髪天を突くような怒り方に、私は不満を覚えただけだった。それを知ってか知らずか、耀さんはますます過保護になった。使用人という名の監視を付きまとわせて、私を四六時中監視して、暇なのか疑いたくなるような間隔で電話を鳴り散らした。今考えても、あの頃は私以上に、耀さんが異常だった。私は勿論それに反抗し、行き過ぎて、部屋に引きこもるようにまでなった。「監視を外すなら、外に出る」と宣言し、やることもないので勉強ばかりしていた。おかげで、真面目に学校へ通っている頃より成績は上がって、結果的に今の大学へ合格できたのもこれのおかげだろう。要するに耀さんは私の監視を続けた。出席日数の足りなくなった私は、引きこもりを諦めることを余儀無くされた。私の興味はそのあと受験へ向けられたが、もしかすると、耀さんはまだあの頃のまま、まだ異常に過保護なままなのかもしれない。
 本気で殴り合いを始めた乱入者たちを放って、アルフレッドさんは私を引っ張って近場のカフェに逃げ込んだ。夕食を食べ終えたばかりだったので、コーヒーだけ頼んで、私は諦観を拭って、冷静さを取り戻した。アルフレッドさんは常連らしく、、ウェイトレスの可愛い女の子に「いつもの」と頼んで、女の子は頬を桃色に染めて「かしこまりました」と微笑んだ。そういえばこの人は女の子にモテモテだった。彼はいったいどこで道を踏み外したというのだろう。私はコーヒーを啜りながら、一瞬逡巡した。
「兄っていうのは、どこに行っても迷惑な奴らなんだな」
「え、あぁ、……そうですね」
「殴り合いなんか始めるなんてさ、人の迷惑っていうのを考えたらどうなんだい」
 お前が言うな。一発殴ってやろうかと思ったが、今までさんざん考えてきて一度も行動に移したことはない。私はカップを持つ手に力を込めやりすごし、アルフレッドさんの注文を、女の子が嬉しそうに持って来た。私の顔ぐらいありそうなハンバーガーと特大コーラだった。丼飯を五杯もおかわりして、まだそれだけの量を食べるのか。メタボッってレベルじゃないぞ。
「君が王耀の弟だなんて知らなかったんだぞ」
 アルフレッドさんは一口でハンバーガーを半分ぐらい食べて、口をもごもごさせながら言った。
「え、と、……違うんです。私、あの人の弟ではなくてですね。……ちょっとだけ、複雑なんです」
「まあそうだろうね。君と彼じゃ、似ても似つかないし」
 アルフレッドさんはぢゅぢゅぢゅーーっとコーラを勢いよく吸う。一瞬俯いた間にハンバーガーはなくなっていた。アルフレッドさんは私にマジックショーでも見せているのか。見てるこっちの胃が重い。
「金持ちの家庭環境なんて大体そんなものだよ。俺だって似たようなものだしね。」
 確かにあの兄じゃあ、私と同じくらいの苦労はしてそうだ。また妙な共感を一つ加えるが、あの場の騒乱は全て彼が原因で引き起こされたのだと思うとやっぱり殴りつけたかった。
「そうそう、菊。君には悪いけどさ、あの家から引っ越した方がいいと思うぞ」
「どうしてですか?」
「彼は、君を俺から助けるために乗り込んできただろう?アーサーを見て驚いていたし、多分二人で喧嘩を始めたのは不可抗力だよ。それに、俺が君に迫ってから、ものの二分も経ってなかった。盗聴器か盗撮機か、多分君監視されてるんだぞ」
「……………………………………」
 絶句。空いた口が塞がらないとはこのことだ。
「それに、あのマンションは王家の系列だし、調査で取り除いても、すぐに取り付けられるよ」
 いや、しかし、でも、あれはこれでそれで……何だ!?
 私が監視されていたことを自覚していたのはもう五年以上前だ。あの頃の兄に感謝する事柄を思い出すと、私が勉学に勤しむ事を邪魔しなかったことだけだ。「今の時代、腕っ節だけじゃなにもならないね」と似非っぽい言葉を話して私を静かに置いておいてくれた。受験に合格した際も、一番喜んでくれたのは兄だし、進学のために色々と奔走してくれたのも兄だ。ちょっとベクトルが捻れているだけで、兄は家族愛の深い人なのだろうとあの頃より随分と気性の落ち着いた私は深く感動したのだ。しかし確かに兄の口から監視を外すという言葉を聴いたことはないし、私だってアレ以来監視を外せと要求したこともない。いや、だからといって、そんなことは………胸にうずくもやもやどうしよう。
「そこでグットなアイディアがあるんだ!」
 アルフレッドさんは明るい笑顔で、にこっと笑って、カップを握り締める私の手を握った。
「俺たち同棲しないかい?丁度いい機会なんだしさ!」
 わくわくと嬉しそうにアルフレッドさんは身を乗り出した。あれだけの騒ぎを起こして、そのままの日常は送れるような気もしない。今までも同居のようなものだったのだから、かまわないような気がする。が、しかし待って欲しい。この状況とはいったいいつからだ?私の平穏な日常が粉砕されたのは誰のせいだ!?  ぱりん、食器が割れた音がした。私には自分の理性が切れる音に聞こえた。
「元はと言えば全部あなたのせいでしょうが!!」
 見事五年以上ぶりに私は人を殴り、こうして私の目標は無意識のうちに達成されたというわけだ。ちなみに、食器の割れた音は、私たちの関係を誤解したウェイトレスが失恋のショックで皿を落としてしまった音らしい。




  →